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自立支援施設の廃墟-大阪・馬淵生活館- 

今回は浪速区の恵美須東にある廃墟を紹介する。

最寄りの駅はJRや南海の新今宮になるだろうか。この日は地下鉄堺筋線の恵美須町駅から現地に向かうことにした。恵美須町駅に降りるとやはり何か違った独特の雰囲気を感じる。

恵美須町駅の場所について説明しておこう。

 

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恵美須町駅は電気街として知られる日本橋と、通天閣のある新世界の間に存在する駅である。新世界を南に行き、あびこ筋を通過するとみなさんご存じ西成区の釜ヶ崎がある。反対に北へ数分歩くとかつて長町スラムがあった日本橋がある。

長町スラムはあまり知られていないので説明しておくと、釜ヶ崎にドヤ街が形成される以前、現在の日本橋の電気街の周辺にドヤ街があった。そこは長町スラムと呼ばれ府下最大のスラム街であった。しかし明治36年の内国勧業博覧会の開催によってスラムの浄化のようなことが行われた。そして新たに釜ヶ崎にスラム街が形成されたのである。

というわけでこの近辺にはディープな街が広がっており、他の場所とは異なる雰囲気を放っているのは、歴史的背景から考えても納得できるというわけだ。
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馬淵生活会館へは10分ほど歩いたら到着するが、今回はやや遠回りして新世界を散歩する。平日で天気が悪いせいか人通りはまばらであった。

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さて、いよいよ新世界を西へ抜けて馬淵生活館に向かう。

馬淵生活館は大阪市の健康福祉局が管轄していた施設であった。目的は一時的に路上生活者を受け入れ、自立に向けた準備をしてもらうことにあった。一応一時的な宿泊施設ということだったらしいが、実際は宿泊者の多くは長期間にわたって滞在していて、事実上公営住宅として機能していたらしい。かつて長町スラムがあった場所もそうだが、この近辺は公営住宅が多く、行政が貧困対策として長年にわたりテコ入れしたきたということがよくわかる。

歩いている内にいよいよ不気味な建物、馬淵生活館が目に飛び込んできた。建物の原型はしっかりと留めているが、コンクリートは黒ずみ、窓はところどころ割れている。

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どうやら中には入れないようだ。敷地の周りの鉄板が不気味さを引き立てているかのようである。最近、都市部ではこのような廃墟は厳重に管理されていて中に入れないようになっているところが多い。廃墟マニアにとっては残念なことだろう。

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馬淵生活館は1962年に建設され、5階建ての建物が東西1棟ずつ立っている。写真は東側の棟で、西側の棟は残念ながら撮影することができなかった。

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生活館の前に並んでいる放置自転車は一体だれのものなのだろうか。使用できそうなものもあれば、ぶっ壊れた状態のものもあった。

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昔は敷地内にも入れたようだが、今は入れないので外からの撮影のみとなった。しかしながら何やらただならぬ気配が漂っており、建物内には死体の1つや2つ転がっているのではないかという変な想像を掻き立てさせられる。

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敷地内も紹介してあるサイト➡大阪deep案内 大阪市営住宅探訪(1)馬淵生活館

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