信楽高原鐵道のいま-事故や災害を乗り越え-

今日は信楽高原鉄道について紹介する。

信楽というとやはり有名なのは信楽焼きで、街中のあちこちにタヌキの焼き物が飾られている。そんな情緒ある街を走る電車が信楽高原鉄道である。

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信楽高原鐵道は滋賀県南部の信楽駅と、JR草津線と接続する貴生川駅をつなぐ路線である。ダイヤは1時間に往復一本ずつで、沿線の街並みはローカル線の雰囲気をプンプン感じさせてくれる。

そんな地方のローカル線である信楽高原鉄道の名が一気に全国に知れ渡ることとなったのは1991年5月14日のことである。

その日の10時35分頃、小野谷信号場ー紫香楽宮跡駅間で、貴生川行きの普通列車と、JRからの直通列車の臨時快速「世界陶芸祭しがらき号」信楽行きが正面衝突した。両車両合わせて42人が死亡し、負傷者は614人となる大惨事となってしまった。事故原因としては信号システムに問題があったと言われている。また世界陶芸祭セラミックワールドしがらき91が開催されており、大量の来場者を捌かなければならないという状況も影響してたものと考えらる。

このように日本の鉄道事故史上稀に見る大惨事として人々の記憶に残る事故となった。

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その後、鉄道の営業は続けられるが、少子化やモータリゼーションの進展で経営状況は厳しいものであった。およそ営業係数(営業費用/営業利益)×100は150%ほどで推移しており、赤字経営が続いていた。2012年では営業利益が1億1万6千円、営業費用が1億6千6百86万9千円で営業係数が1.66%であった。このような経営状況を受けて、2013年4月には上下分離方式が取られ、鉄道システムの運行は信楽高原鉄道が行い、線路、車両などの施設を甲賀市が所有し管理することになった。

そんな中、2013年9月15日、信楽高原鉄道に悲劇が襲い掛かる。台風18号の影響で全線不通となり、翌日の16日には橋脚が濁流に飲み込まれて流された。その他にも線路盤の陥没や土砂崩れによって24か所に被害が出た。

17日からは代行バスが運行されることとなった。復旧に莫大なコストがかかることから鉄道システムの保有者である甲賀市は廃線も視野に入れていることの考えを示した。

しかしながらその後、国からの多額の補助が認められたこともあり信楽高原鉄道の復旧が決定した。そして翌年2014年の11月29日、ようやく運行が再開されたのである。

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さて、復旧後も変わらず厳しい経営状態が続いている。もちろん公共交通の場合、営業赤字が発生していても、利用者の便益が大きいと考えられる場合にはシステムを存続させた方がいいと言われている。むしろ海外では赤字経営が当たり前である。

また鉄道は街のシンボルとなり、町全体の価値を高めてくれる効果がある。さらに観光面から考えれば街に鉄道があるのとないのとでは大きく町の雰囲気が異なる。

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真夏の炎天下、重低音のディーゼル音を響かせ、信楽駅のホームに列車がやってきた。災害や事故という悲しみを乗り越えての現在の姿である。やはりこの姿を見ると、今後も住民の足、観光列車、そして町のシンボルとして運行を続けていってもらいたいと強く思う。

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写真は先日信楽駅周辺で撮影したものである。駅のロータリーの脇には芸術的な塔が建っていた。そう、信楽は芸術の町なのである。今日も芸術の町の一部として信楽高原鉄道の車両が駆け抜けていく。

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