日雇い労働者の街~横浜・寿町~

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日雇い労働者の街。日本においては東京・山谷、大阪・釜ヶ崎(あいりん地区),そして今回紹介する横浜・寿町が有名である。人々からはスラムと言われ、敬遠されがちな街であるが、今回、勇気を出して訪問してみた。

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この日はJR根岸線の石川町駅から現地を目指す。石川町駅は横浜の中心部に位置する関内駅の東となりの駅である。駅の東側はあの有名な横浜中華街があり、観光客でにぎわっている。

それとは対照的に駅の西側は一般の人が敬遠する、横浜No.1と言っていいであろうDEEPゾーンが広がっているのだ。

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駅を降りて首都高速沿いの道を歩いていき現地を目指す。この日は曇っていたが、歩くと汗がタラタラと出てくるほどの暑さであった。しばらく歩くと街並みがややそれらしき雰囲気に変化してきた。

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どうやら本格的に寿町地区に入ったようで、日雇い労働者の街の象徴ともいえる簡易宿泊所がいよいよ見えてきた。ちなみに
寿町や山谷、釜ヶ崎などはドヤ街と呼ばれるが、これは日雇い労働者向けの簡易宿泊所のある街という意味である。そして「ドヤ」とは「宿」を反対から読んだものである。逆さにして読むのは、とても普通の宿とは言えないということを暗に意味しているらしい。

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ここまで来るとふらつき気味で歩いているおっちゃんがけっこういた。横浜といえば 、おしゃれで洗練されて都会的というイメージである。

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例えば、みなとみらい周辺を想像する人も多いだろう。しかしこの地域はそんなイメージとはまったく無縁の雰囲気を漂わせている。

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あまり人が多いところで撮影すると問題がありそうだったので寿町での写真撮影は早めに切り上げた。現在ネット上の様々なサイトでこのような地域の写真というのは大量に見ることができるので、興味がある方は他のサイトを検索してみてはいかがだろうか。

今回せっかくの機会なので寿町からJRの高架下を通って中華街にも行くことにした。寿町から中華街に近づいていくにつれて中華料理の店も多くなっていく。

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それにしてもすごい人ですね。

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ここでこと寿町の歴史を振り替えっておきましょう。

寿町ドヤ街形成の経緯

1950年代、農業の機械化が進み農村では人手が余るようになり、特に農家の次男、三男は都市に移り住み始めた。またこの頃は石炭から石油へとエネルギー転換の時期。職を失った炭鉱労働者なども仕事を求めて都市に流入してきた。

当時、朝鮮戦争による軍需輸送の基地となった横浜港は、荷役労働を中心に港湾労働者の需要が多く、日本中から大勢の労働者が横浜に集まっていた。

当時は野毛に日雇い労働を紹介する職業安定所があって、野毛周辺に簡易宿泊所があり、大岡川には船を改造した水上ホテルのようなものもあった。

一方、寿町周辺は1945(昭和20)年から1955(昭和30)年まで米軍に接収されていた。
接収解除後、1957(昭和32)年に職業安定所の寿町移転と共に、寄せ場も移動し、簡易宿泊所が多く建設され、寿町はドヤ街を形成していくこととなる。
はまれぽ.comより引用

私自身、寿町に行ったのは今回が初めてなのだが、東京の山谷、大阪の釜ヶ崎は訪れたことがあった。個人的な印象では釜ヶ崎ほどのインパクトはないが、山谷よりは雰囲気的にスゴいという感じを受けた。

もともと日雇い労働者の街であったが、他のドヤ街と同じように高齢化が進んでいる。生活保護受給者も増加しており、寿町の簡易宿泊所に暮らすおよそ6500人のうち、現在では約8割が生活保護受給者である。その他、不景気や行政の支援の影響もあるようだ。今後は福祉の街として寿町が知られるようになるだろう。

どこの都市でもそうだが、街には光と影があるように思える。華やかな地域がある一方で暗い影に包まれたような地域もあるのだ。とりわけ東京や大阪、そして横浜などの巨大都市というのは影の部分というのも大きいのかも知れない。

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参考サイト➡はまれぽ.com

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