関西有数の被差別部落 | 京都・崇仁地区


観光都市として賑わいを見せている京都。その玄関口である京都駅から歩いて数分の場所に、かつて関西有数京都最大の被差別部落があった地区がある。そもそも被差別部落とは何なのか、それは江戸時代の身分制において賤民にあたる身分の人が住んでいた集落のことである。

地域間で人の行き来が盛んになって、すでに地域性が失われようとしている今もなお、被差別部落地区への偏見というのは続いている。もちろん、明治時代の解放令によって身分制度は廃止された。しかし今もなお、子孫にあたる人たち、またその地区に住んでいる人たちに対する就職や結婚への不当な差別がなくなったわけではない。

特に関西を中心とした西日本で顕著で、ここはかつて被差別部落があった地区であるという認識が地元民の間では周知の事実となっている。

一方、かつて関西と経済力を二分していた関東地方では人口増加や大規模な開発事業によって被差別部落が分かりにくくなっている。また、昭和時代に残っていた部落がそもそも少なかったというのも理由のひとつである。

今回はかつて被差別部落地区とは一体どんなところなのか京都の崇仁地区という場所を取り上げてみようと思う。このような問題を扱うとき、晒し行為だといって嫌悪感を示す方もいるが、個人の名前を出すわけではないので法的には問題ない。また、地区内には被差別部落として崇仁の暮らしや歴史などが展示されている柳原銀行記念資料館があったりする。そのため、今更ここがかつての被差別部落地区であったと言っても晒し行為にはならないだろう。また、先日NHKEテレのハートネットでもそのことについて取り上げられていましたし、問題はないと考えております。

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この日は京都駅から現地を目指すことにした。京都駅の南口(八条口)から歩くこと数分、公営住宅の集合が見えたきた。けっこう古いアパートのように見える。どうやらこの辺が崇仁(すうじん)地区に当たるようだ。

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しばらく歩くと青いレトロな建物が目に入ってきた。これは柳原銀行記念館という建物で、日本で唯一の同和地区出身者が設立した銀行である。実際銀行のあったのはここから数分歩いたところだが、現在はこちらの場所に移転している。この銀行は明治32年、崇仁地区の町長であった明石民蔵(あかしたみぞう)ら地元の有志によって設立された私立銀行で、他の金融機関で融資を受けるのが難しかった崇仁地区の業者に、金貸しをしていた。

現在記念館は一般公開されており、崇仁地区の詳細や非差別部落地区の実態について、資料や写真などが置かれている。私も以前この資料館を訪れたが、京都市の係の方が崇仁(すうじん)について親切に説明してくれた。

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柳原銀行記念館には、昭和の頃の部落の写真が掲載されていた。写真にはいかにも部落といった感じの密集した建物が写っていた。しかし京都市の同和対策事業によって、下の写真のように新しく綺麗なマンションも建つようになった。もちろん同和利権のように既得権益の問題はよく耳にするが、ひとまず住環境は改善されたというわけだ。

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こうしたマンションは改善住宅と呼ばれ、地区の住環境の改善のために建設された。現在、ここ崇仁地区に限らず、関西の被差別部落地域では改善住宅が見られる。その一方で辺りを見回すと、空き地が多くなっている。以前はこの場所に一軒家が連なる集落があったのだが、地区内からの流出やマンションへの移住が進んだことがわかる。

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地区内には高瀬川が流れている。かつては生活排水が流れて衛生面で問題があったが、今は綺麗に整備されている。ウグイのような川魚もいて、水質もよいものであった。住民たちの憩いの場としては良い環境でしょう。

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これはなんなのでしょうか。この上にちょっとした神棚、それか卍マークがあるので地蔵置いてあったものと思われる。

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空き地は草が生い茂り、少し荒廃した様子であった。以前は空き地にぎっしりと住宅が立ち並んでいたことでしょう。

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しかし今は昔。昔の建物は跡形もなくなって、ただ草むらが広がっているだけである。敷地はフェンスと有刺鉄線で厳重に囲われている。

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次に塩小路通りを越えて北のエリアに行ってみた。北は七条通り、南は八条通り、西は高倉通り、東は鴨川に囲まれた地区が崇仁のエリアにあたる。

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塩小路通りから北側も空き地が多く見られたが、こちらはかなり古くからの住宅がそのまま残っているエリアもあった。

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また、地区内には革皮関係のお店が多く見られる。被差別部落民の主な生業といえば人や動物の生死にかかわるもので、ことから動物の皮を扱う皮革店が現在でも数多く見られるというわけだ。

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現在、地区内には古い建物はほとんどないが、この辺りは昔からの建物が現存しており、当時の風景がまだ若干感じられる。

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住環境としては大きく改善したようだが、昔の様子を写真でしか見られなくなるというのは少し寂しい気もするが、これも時代の移り変わりで仕方ない。

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古い住宅の向こうには新しい改善住宅を見ることができる。

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現在京都市は崇仁地区に京都市立芸術大学を移転させようとしているが、その際に古くなった改善住宅を取り壊してキャンパスを作ろうとしている。京都市は崇仁地区を文化・芸術の拠点にしようと計画している。再び崇仁地区の街並みが大きく変わろうとしており、もしかするとここが被差別部落地域であったということが忘れ去られる時代が来るかもしれない。

日本において被差別部落はタブー視されていますが、崇仁地区では記念資料館があることや京都の玄関口である京都駅からも程近いことから、被差別部落問題について問題提起していくには適切な地なのかも知れませんね。

2017年5月25日記事更新

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『関西有数の被差別部落 | 京都・崇仁地区』へのコメント

  1. 名前:west 投稿日:2016/09/21(水) 13:24:01 ID:5641e00c8