時代に置いていかれたほぼ廃墟の弁天埠頭ターミナルビル

大阪市港区に廃墟寸前のかつての旅客船ターミナルがあるとのうわさを聞きました。そこで、現地へ訪問しました。船のターミナルビルの廃墟というのは全国的にも珍しいのではないでしょうか。このターミナルビルがあるのは大阪市港区。「港区」と聞くと高所得者が集まるリッチタウン東京都港区を思い浮かべるのですが、大阪の港区は対照的に下町の街並みが見られます。JR弁天町駅、地下鉄弁天町駅からは15分ほど歩いて現地に到着です。

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2階建ての普通のビルが見えてきました。見たところ特に変わったところはないようですね。

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まずは弁天埠頭ターミナルの歴史を振り返っておきましょう。弁天埠頭が開業したのは昭和40年7月1日のことでした。もともと大阪港は天保山の辺りで栄えていたのですが、強風の影響と都心から離れていることが問題視されていました。そのため安治川を拡幅して、港を整備する工事が昭和23年に始まり、岸壁や埠頭が整備されました。その集大成が弁天埠頭の開業だったわけです。

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このときすでに国鉄と地下鉄の中央線は開通していたので埠頭の利便性は高く、旅客船ターミナルとして急速に発展しました。旅客船の多くは四国、九州へ向かっていったそうです。ところが車社会の到来により、海上輸送はフェリーへと変化していきました。フェリーは大きな駐車場が必要になるため、次第に大阪南港フェリーターミナルに移っていきました。ちょうどATCのあるところですね。

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そして、平成7年に関西汽船が廃止されて、ここを発着する定期便は完全になくなりました。しかし今でも当時の案内の看板が寂しげに掲げられています。

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こちらは大分色が落ちてしまってますが、駅までの案内図です。

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表から中へ入ろうとしたのですが、扉は鍵がかけられていて入れませんでした。そりゃ役目を終えたビルですから入れなくて当然ですね。

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というわけで裏に回ってみました。それにしてもシャッターがすごい色です。こげ茶色に変色しています。

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なかなかいい雰囲気です。錆がいいかんじですね。外は拡幅工事が行われた安治川です。

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対岸には住友化学大阪工場があり、工業都市としての大阪を感じることができます。大阪は商業都市のイメージが強いですが、戦前から工業が盛んでした。東洋のマンチェスターと呼ばれたくらいでしたからね。

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こちらは乗船口の看板です。かつては乗船口も賑わっていたことでしょう。しかし時代変化を止めることはできません。もうすでに廃墟に変わろうとしています。

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苔が年季を感じさせてくれます。こちらの入り口は乗り場とターミナルを挟む入り口のようです。こちらも残念ながら開きませんでした。

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建物は2階建てとなっているようです。かつては賑わいを見せていた埠頭ターミナルですが、いまや抜け殻といったところでしょうか。

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奥に見えているオレンジ色の鉄の向こう側は行くことができなくなっています。

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これは何でしょうか。チューブみたいなものがぶら下がっていますね。

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次に反対側からビルの裏に行ってみます。こちらには大型の観光バスが10台ほど停まっていました。バスの車庫のようです。

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こちらもこのように殺風景でした。しかしよく見ると、ビルの扉が開いていて、中へ入れるようです。

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中はシーンと静まり返っており、なにやら妖しげな空気が張りつめていました。もっと奥へ進みたかったのですが、関係者以外立ち入り禁止の看板があったので止めておきました。そして建物の奥から足音が聞こえてきたので、仕方なく退散しました。

今日は弁天埠頭ターミナルビルを紹介しました。このように時代の変化によって寂れてしまった建物や街を見ると私は何故か落ち着きます。もしかしたら役目を終えた安息感のようなものを感じとれるからかも知れません。現在、弁天埠頭ターミナルビルは建物内は工場やアトリエとして使用されているようです。

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