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かつて曾根崎にあった謎の廃墟ビルの跡地

大阪の繁華街、梅田にほど近い場所に、かつて人々に恐れられてきた廃墟ビルがありました。この廃墟ビル、建設が中断した後、そのままの姿で取り残されていたのです。コンクリートは剝き出しで、おどろおどろしい雰囲気が漂っており、これを見た人は怖気づいてしまうような状況でした。そして多くの人々で賑わうキタに廃墟があるという状況もある種奇怪なものでした。

ネット界隈では「曾根崎の廃墟ビル」「曾根崎の謎ビル」と呼ばれ、そっち系の話題が好きな人にとってはちょっとした名物スポットになっていたのです。
私は先月の大阪取材のとき、これを見に行こうとしたのですが、間違えて北新地にある廃墟ビルを曾根崎の廃墟ビルと勘違いしてしまいました。

取材後、記事作成にあたって曾根崎の廃墟ビルを検索したら、すでに取り壊されているという記事を目の当たりにしたのです。完全な調査不足です。反省しなければなりません。

というわけで、前回のリベンジというわけではありませんが、再度曾根崎の廃墟ビル(すでに取り壊されてしまっていますが)を求めて、大阪を訪れました。

この日、堂山を訪れた後、曾根崎の廃墟ビルの跡地を目指すことにしました。途中、兎我野町というラブホ街を抜けると新御堂筋に出ます。

信号待ちをしているとき、新御堂筋の西側をよく見ると、ビルの手前に大きな空間があり、そこにはクレーンが見られます。どうやらここが曾根崎の廃墟ビルの跡地のようです。

阪神高速の高架下に通る新御堂筋を渡って、もう少し近づいてみます。青空に高層ビルがよく映えています。

周りは白い鉄のフェンスで囲われています。クレーンがあるということは今工事中のようです。ちなみにこの近くにある、大阪北小学校・曾根崎幼稚園跡地には地上52階建ての高層マンションが建つ予定です。

廃墟曾根崎の廃墟ビルは大都会の中で20年間も取り壊されることなく存在し続けたそうです。これだけでも奇跡と言えます。その不気味な外観から人々に恐れられていました。

しかし、今は跡形もありません。現在大阪では都心回帰の動きがあり、今後他の土地と同じように再開発が行われるでしょう。次に、駐車場から飲屋街を過ぎて、商店街の方へ出ていきます。

ここからも曾根崎の廃墟ビルの跡地がよく見えます。かつてはここに不気味な廃墟があり、商店街を行き交う人に威圧感を与えていたそうです。

この商店街は曾根崎お初天神通りといって、400mほど南北に延びています。

商店街と露天神社(お初天神)はつながっています。せっかくなので行ってみました。さてこの神社、露天神社(つゆのてんじんじゃ)が正式名称のようですが、なぜお初天神と呼ばれるようになったのでしょうか。調べてみました。

元禄16年(1703年)に堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が「天神の森(現在の社の裏手)」にて心中を遂げた。一月後近松門左衛門はこの二人の悲恋を人形浄瑠璃『曽根崎心中』として発表したところ、当時大きな話題となった。事件の神社は一躍有名となり、そのヒロインである「お初」の名前から以後今日に至るまで「お初天神」と通称されている。

菅原道真など5人の祭神が祀られています。

境内からは梅田の高層ビルが見え、まさに大都会の中のオアシスとなっています。

お初と徳兵衛が心中した場所ということもあって、お初天神は恋愛成就の神社としても知られています。

さて、廃墟は跡形もなくなっていましたが、跡地には新たないのちが誕生しようとしています。廃墟好きとしては寂しい気もしますが、これも時代の流れ。仕方ありません。

最後に場所を確認して、今回の記事は終わりにします。

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※印をつけたすぐ左に廃墟ビルの跡地があります。

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コメント

  1. 華南 より:

    気になっていた土地です。近所の「曽根崎公西会市場」はまだあるみたいですね。

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