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梅田村事件 大阪ダイヤモンド地区の再開発を振り返る

大阪最大、関西最大、西日本最大のターミナル梅田。これまで多くの高層ビルが建設され、今もなお再開発のラッシュで湧いています。いま西日本で最も勢いのある地域と言ってもいいかも知れません。

今では大都会の様子が見られ、大阪の中心的な存在の街になっていますが、もともとは大阪市の中心からは外れた場所という認識がされていました。名前の由来も埋められた田んぼから来てますしね。漢字も、現在の「梅田」ではなく、もともと「埋田」の字が使われていました。

戦時中大空襲に見舞われた梅田は、他の大都市と同じように焼野原となりました。その後、梅田地区には、戦後のドサクサに紛れて、不法占拠によるバラックが多く作られました。不法占拠していた三国人に、わざわざ大阪市民の税金を払って立ち退かせて、現在の大阪駅前ビルができたのです。

大阪駅前ビル周辺は、かつてダイヤモンド地区と言われ、その立地の良さから再開発が盛んに行われてきました。しかし、闇市やバラックを立ち退かすのは並大抵のことではなく、再開発は1980年代まで続くこととなったのです。

そして今ではバラックなどの低層建造物は跡形もなく消えてしまいまい、すっかり近代的な街並みへと変化を遂げたのです。現在、再開発によって、ダイヤモンド地区には以下の建物が建ち並んでいます。

大阪神ビルディング(阪神百貨店梅田本店) – 梅田1丁目1番地計画として新阪急ビルとともに建て替え工事中である[1]。
新阪急ビル – 梅田1丁目1番地計画として大阪神ビルディングとともに建て替え工事中である。
大阪第一生命ビル
ヒルトン大阪
ヒルトンプラザ大阪(ヒルトンプラザイースト)
大阪マルビル
大阪第一ホテル
梅田DTタワー
東京建物梅田ビル(旧渡辺リクルートビル)
E-MA
梅田ブルク7
梅田スクエアビル
大阪駅前第1ビル
大阪駅前第2ビル
大阪駅前第3ビル
大阪駅前第4ビル

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よくこれだけのビルが建設されたもんです。法律的には不法占拠と言っても、強制的に立ち退かせることは困難だったようで、立ち退き料を払ったり交渉を重ねたりと、それは大そうな労力がかかったそうです。

各業者が土地の買収に苦労を重ねる中、不法占拠のバラックを力づくで押しのけた人物がいました。写真に見える大阪マルビルと関係のある人物でした。

その人物こそが、大日本ドケチ教教祖として知られる吉本晴彦氏だったのです。吉本氏は不法占拠の状態にあったバラックを退かせるため、労働者を集めてブルドーザーでこれを破壊させたのでした。これを梅田村事件といいます。

それにしても何という原始的な方法なんでしょうか。まさに目には目を歯には歯をといった感じです。その後吉本氏は、バラック側の住民に訴えられて一度は敗訴となったものの、控訴審で逆転勝訴を勝ち取ったのです。

1976年、吉本氏は勝ち取った土地に大阪マルビルを建てました。大阪マルビルはバブル崩壊の波に飲み込まれてしまい、これを手放すことになってしまいました。しかし、現在吉本氏は、同じく梅田西地区にあるヒルトンプラザウェストを所有しています。

ヒルトンプラザウェストは梅田村事件の栄光を放っているように、夕陽にあたって光り輝いていました。

現在、梅田は大阪の中枢としての機能を果たしています。その影には再開発の苦労とドラマ、そして闇があったのです。ぜひ梅田を訪れた際は、これらの出来事を思い起こしてほしいと思います。

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