【新大阪のアンタッチャブルゾーン】飛鳥人権文化センターの跡地と周辺散策


大阪の玄関口として機能している新大阪駅から1㎞ほど東に行った場所に、かつて飛鳥人権文化センターがあった。

飛鳥会事件。それは2006年に発生した事件で、これにより同和問題の深刻さがより浮き彫りになった。飛鳥会事件を簡単に説明しておく。

飛鳥会は新大阪駅近くの西中島駐車場を大阪市の外郭団体から業務委託されていたのだが、その収益を財団法人飛鳥会理事長、小西邦彦が横領した。

1983年から[7]この飛鳥会の理事長を務めていた小西邦彦は、年間2億円の収益を7000万円に過少申告し、差額を横領することにより不正な利益を得ていた。

違法行為から得た利益の使い道はというと、娘のベンツの購入費だったり、長男の生活費だったりと、家族想いなところを見せているが、同和行政を食い物にした横領は当然許されることではない。

今回目指すのは飛鳥人権文化センター(旧飛鳥解放会館)があった場所。この日、新大阪のビジネス街を散策したのち、飛鳥人権文化センターがあった場所とその周辺の街を散策することにした。

まずは、ビジネス街である西中島からJR京都線の高架下を通り、東中島地区へと向かう。

途中、自転車が倒れていたりと、少々荒れ気味の街並みが見られた。

東中島地区はマンションやアパートが多く建つエリアだが、一部で企業のオフィスも見られる。約100mの高さのビル、株式会社キーエンスの本社を脇目に南へと進んでいく。もちろん、この辺では最も高い建物である。

続いて見えてきたのは阪急京都線。小豆色のカラーがお馴染みの大手私鉄電車である。線路の向こう側には大阪市水道局の浄水場やテニスコートがあり、住宅地は京都線で分断されていることがわかる。

南方地区

次に、阪急京都線の線路沿いを北東方向へ進んでいき、崇禅寺駅を目指す。

何を隠そう、この辺も被差別部落地区にあたる(全国部落調査を元に作られたサイト、同和wikiより)のだが、歩いてみた感じは、いたって普通の街であった。

これまで訪れた被差別部落地区の崇仁地区芦原橋駅周辺などでは、公営住宅が目立ち、いかにも「同和対策事業を行いました」といった感じの街並みが見られたが、ここは違う印象を受けた。これは新大阪という利便性の高い地域のため、人口の流出入が激しいことが原因かも知れない。あとはもともとの部落の規模が小さいことも原因のひとつであろう。

民間企業が供給するよくある分譲マンションも見られたりと、一見ここが同和地区であるということには気づかない。

ところどころフェンスで囲まれた空地があるが限定的で、かつて被差別部落民の集落があった跡はもう無くなってしまっている。

しばらく歩くと、ようやく公営住宅を発見である。こちらは大阪市営南方住宅。やや古めかしく、いかにも昭和期に作られた「団地」という表現が合う公営住宅である。

人は住んでいるようだが、あまり人気はなく寂しげな雰囲気が漂っていた。玄関には掲示板のようなものが貼られていたが、こちらも年季を感じさせてくれる。

近くの道路には底辺御用達の金貸業者のチラシを発見。やはりここはそういう街なのか・・・生活保護・無職といった暗い言葉が妙に街並みとマッチングしている。

飛鳥・崇禅寺地区

南方地区を抜けると、今度は飛鳥地区に入る。アパートの一階部分には商店があるが、見るからに寂れた雰囲気。

引き続き阪急京都線沿いに歩いていくと、崇禅寺駅に到着である。ちなみに先日yahooニュースでも取り上げられたgooglemapの書き換え事件の駅、柴島駅はここからすぐ近くにある。現在、崇禅寺駅周辺の線路では高架化の工事が行われている。

画像では分かりにくいが、駅近くの看板には「飛鳥解放会館」の文字が刻まれている。

そして飛鳥解放会館があった場所は、現在分譲マンションが建てられている。かつてここが解放運動の拠点となっていたのだが、今は姿形もない。

周辺は下町といった感じの街並みが広がっている。同じく東淀川区の淡路駅や上新庄駅の賑わいに比べると、静かなものである。

こちらも普通の住宅地が見られ、同和地区として面影はほとんどない。

道路にはタイルが張り付けられ、街の景観、雰囲気も決して暗くはない。

ごくごく普通の住宅地をうだうだと散歩していると、崇禅寺が見えてきた。

崇禅寺は曹洞宗の寺院。足利義教の首塚や細川ガラシャの墓があることで知られている。

崇禅寺から再び住宅街にいく。崇禅寺の前には大規模な市営住宅が軒を連ねている。

ベランダには洗濯物が干してあり、まだまだ住民が住んでいるようだ。崇禅寺駅も近く、便利な場所である。

市営住宅と隣接して空き地が広範囲にわたって広がっていた。

日之出地区

南方、飛鳥、崇禅寺地区と歩き、次に向かったのは日之出地区。こちらにも公営住宅が建ち並んでいる。

しかし、人気がなく本当に人が住んでいるのかというような静けさである。

そして住宅の横には倉庫?のようなものがある。使用されている感じもないが、一体何なのかは分からない。

新大阪駅の方を見ると、よくある今どきの分譲マンションが見える。同じ集合住宅ではあるが、公営住宅との違いがなかなか凄まじい。

1階部分にはなぜか板が貼られていた。ガラスが割れてしまったんでしょうかね。

どこから発生したのか分からないゴミが大量に落ちていた。

住宅の前には月極駐車場がある。新大阪駅に近いことから利用者は多そうだ。

公営住宅とは対照的に道路は綺麗に整備されている。

次に新幹線の高架下を通って北側(東淀川駅)へ向かう。ここも日之出地区である。

最後に東淀川駅へ向かい、今回の街歩きを終えることにした。

おわりに

ひと通り散策してみた感想は、「おおよそ普通の街であった」ということ。やはり同和対策事業は一定の効果があったとみるのは正しい見方だろう。以前は近くに浄水場があるにも関わらず、生活用水垂れ流しなど、衛生面で問題があったため、生活インフラを整え、地区の住環境を向上させたのは大きな成果と言える。

ただ、同和地区と地区外での生活水準の差が無くなっていくと、次第に同和利権という言葉が生まれてくる。部落内での教育環境、住環境などが向上してもなお、同和対策事業が行われ続けた。その中で、甘い汁を吸う者も出てきたわけだ。登場人物としては、部落解放同盟だったり、暴力団だったりするわけだが、ここでは詳しくは書かないことにする。書籍に詳しく書かれているので、詳しく知りたい方は購入されることをおすすめします。

国策としての同和対策事業は2002年で、ようやく終了したものの、市町村やNPOなどによる事業は継続されている。今後は行政だけでなく、地域住民もこの問題に関心を持って、本当に必要な事業だけに公金をつぎ込むことが求められている。

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