京都の都心に近い被差別部落・天部村のいまをいく

京都の鴨川に近い場所に、被差別部落がある。ここも行政による同和対策事業の対象となった地域で、いわゆる同和地区とみなされる。

今回訪れたのはかつては天部村(あまべむら)という地名だった地域である。この部落の特徴は何といっても都心に近いこと。言うまでもなく、京都の都心とは四条河原町や四条烏丸などの地域で、いわゆる田の字と呼ばれている場所である。昨今では京都駅が京都の代表的な街になっているが、京都駅周辺が賑わいだしたのはごく最近のことで、1800年代後半に国鉄の京都駅が開業したときには、街はずれの場所であったのだ。

そのため、かつて当サイトで紹介した京都最大規模の崇仁地区は京都の街外れに位置していたということになる。

その天部村、現在はどのようになっているのか、今回足を運んでみた。なお、天部村の住所などの場所についての詳細は今回は控えておくことにする。

天部村の概要

まず、天部村について簡単に概要を説明しておく。実は調べているうちに分かったのだが、天部村はもともと四条河原町の辺りにあったそうだ。

 

寺町、御土居の建設など秀吉の都市政策により、“あまべ”は四条から三条へ移転させられた。

とある。秀吉の時代と言えば安土桃山時代なので、相当古くから部落は存在していたことがわかる。移転前と移転後の生業は以下の通りである。

・天部村の生業

移転前 清目の役(お上からの公役として牛や馬の死体処理や警察のお仕事)
移転後の江戸時代 町奉行や公吏、皮革業

やはりここも、動物の死に関わることを生業としていた。ただ、都心に近いためお、上からの業務が多いことも特徴的であったとされている。

現在の天部村の様子

さて、移転後の天部村は、三条京阪や東山といった地下鉄の駅からほど近い場所にある。地区内に入るとやはり目に付くのは公営住宅である。

ここも他の同和地区と同じく、同和対策事業として建設されたいわゆる改善住宅が立ち並んでいる。古い建物もあるがわりと新しい建物も多いようである。

植木もキレイに整備されており、京都らしい町並みを見ることができる。祇園にも近く、観光客も訪れるのでこのような街並みは好ましいものなのかも知れない。

しかし、道を挟んで反対側はかなり古いアパートが。と思ったら調べてみると教育委員会事務局体育健康教育室と書いてある。

(1)学校安全の普及・充実,通学路の安全点検,防災教育の推進,「日本スポーツ振興センター」事務,児童・生徒等の保健・環境衛生の維持向上及び指導,学校の疾病予防対策 (2)学校体育活動の指導助言,各種体育大会の計画及び実施,競技力向上対策,学校体育諸団体との連絡調整 (3)学校給食の企画及び調査,食教育,調理・栄養指導,衛生管理,給食関係諸団体との連絡調整


もう少し歩くと、少し独特のデザインの公営住宅が見られた。11番と書かれている。そんなに多くの建物があるのかと、地図で調べてみると、何と22と振りつけられた市営住宅まである。ただ、実際に建物があるのは10棟ほどであり、なぜ数字が飛ばし飛ばしになっているのかは不明である。

こちらの改良住宅もかなり古い。30~50年ほど前に建てられたものと想像がつく。一階部分には営業しているのかすらわからない、レトロを通り越して、ホラーゲームに出てきそうな外観をした古びたタバコ屋など、いくつかの商店が軒を連ねていた。そしてやはりここも、弱者の味方、共産党や公明党のポスターが貼られていた。

これらの様子を実際に写真で納められればよかったのだが、部外者以外立ち入り禁止と書かれたポスターが貼られていたり、余所者を拒む雰囲気がビシビシと伝わってきたので、スマホであっても撮影する気が起きなかったのである。

ゴミ出しのステッカーがやたら貼られていたのが印象に残っている。

このように改良住宅が何棟も並んでいるのがわかる。人通りやベランダには洗濯物も見られたので、まだまだ人は住んでいるようだ。三条や四条など京都の都心に近く生活の利便性が高いということもあって、これからも天部村の歴史は続いていくことになるだろう。

参考サイト➡
http://www.kyoken.jp/46/houkoku46/5houkoku46.htm

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