戦後栄えたアパレル産業の集積地~岐阜の繊維問屋街を散歩した~


個人的に岐阜というと何か「渋い」というイメージがあるのですが、これはGifuという音の響きによるものなのかも知れません。が実際に行ってみると、昔からの繁華街である「柳瀬」や今回紹介する「繊維問屋街」はイメージ通りの渋さでした。

その繊維問屋街は岐阜駅の北口から歩くこと、数分の場所にあります。岐阜駅を降りると、再開発の高層マンションやオフィスビル、商業施設のビルが建ち並んでおり、岐阜の拠点に相応しい体裁の街並みが見られます。

そんな岐阜駅前の一角に、中問屋町というアーケードを発見したのです。今回の岐阜遠征の目的は金津や岐阜駅周辺の街並みを見ることでしたが、繊維問屋街があることは知りませんでした。

面白そうだったので中へ入ってみると、古く細いアーケードが続いています。まさにシャッター通りと呼ぶに相応しい光景が広がっていました。

お店の看板は真っ白で、すでに退去した後のようです。外は時雨模様ということもあって、アーケード内は薄暗く、湿っぽさが感じられました。

もう少し進んでいくと、営業中の服屋さんも見られました。しかし、なかなか余所者は入りづらい感じがします。

レトロな雰囲気を感じながら、ここからは岐阜とアパレル産業について書いていこうと思います。

長良川の鵜飼が有名な岐阜では、実はアパレル産業(既製服産業)が盛んです。

そもそもアパレル(既製服)とは何なのでしょうか、アパレル関係に疎いこともあり、少し調べてみました。

そもそも「既製服」というのが意味が分からなかったので、こちらの意味から。

既製服とは事業者が服を商品化して大量生産したもの。つまりサイズをあらかじめ指定しておいて作る服のことです。

既製服の反対の概念がオーダーメイド。こちらは着る人のサイズを測ってから作る服のことです。

岐阜では戦後、既製服産業が栄えて国内でも有数の産業集積地となりました。

既製服の製造と小売は、歴史的には分離しているケースが多かったが、1980年代後半より、SPA (英: specialty store retailer of private label apparel ) と呼ばれる、企画・製造から小売までを手がける業態が増えている。日本では、大規模な繊維問屋街を持つ岐阜市(岐阜県)や学生服やジーンズの生産で有名な児島を有する三備地域(岡山県南部から広島県東部)等が、アパレル産業の盛んな地域として知られている。

ウィキペディアにも紹介されています。

もちろん、今はユニクロを代表とする大資本によるアパレルメーカーの台頭や輸入製品の増加などから衰退傾向にあるようですが。

昭和55年の1,390店から 平成12年には659店にまで減少しているそうです.

かつて東京や大阪と並んで日本三大繊維産地となり、岐阜は最盛期にはアパレル王国と呼ばれるほど繊維産業が栄えたそうです。

個人的に岐阜は名古屋のベッドタウンという印象が強かったのですが、この大規模な繊維問屋街を訪れてみて歴史的に見ても大きな経済拠点として機能していたことが分かりました。

岐阜駅周辺の繁華街や各支店のオフィス様子を見ても、現在でも地域の産業集積地となっていることが確認できます。

名古屋の大都市圏とは別に、岐阜都市圏というものが定義されています。都市圏とは

今回撮影してきた写真はこれで全てお見せしたことになります。繊維問屋街では岐阜の産業の歴史とノスタルジックな光景を楽しむことができます。

最後に繊維問屋街がある場所を見ておきましょう。繊維問屋街は岐阜駅北口から数分歩いたところです。再開発ビルを目印にすると分かりやすと思います。今回、始めに入っていった中問屋町は緑色の矢印を付けておきました。



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