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闇市の私娼窟に始まった青線地帯・国際園とはどんな街か



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岐阜で遊郭と聞くと、真っ先に金津遊郭(現金津園)を思い浮かべる方が多いでしょうが、実は岐阜駅近くにもうひとつ遊郭が存在します。

その名は国際園

国際園は前回紹介した繊維問屋街からはほど近く、そこから西へと向かって歩いていきます。

国際園は戦後の闇市や私娼窟がその発祥と言われており、1958年の売春防止法の成立までは非合法に売春が行われていました。

金津など、元々日本の公娼精度のもと、合法的に売春が行われていた地域は、戦後GHQの支配下では赤線地帯と呼ばれていたのですが、

非合法に売春が行われていた地域は、青線地帯と呼ばれていました。ちなみに赤線や青線というのは、警察が地図上に書き込む際に色付けしたことが由来しています。

歩いていて感じたのは、古びた建物が多いということ。繊維問屋街に近いことから、この辺りも既製服系の工場やオフィスが多いようです。

さて、そうして歩いている間に、ようやく国際園の元遊郭が見えてきました。「ミカド」。ネット界隈を調べていると、どうやらマニアの間ではミカドが国際園のランドマーク的な存在だそうです。

ミカドの隣にはこれまた渋すぎる建物があります。こちらも明らかに旧遊郭といった感じの建物。一体今はどのように使われているのか、外から見ただけでは分らないという状況です。

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もう少し付近を散策することにしました。ここで国際園の場所を確認しておきましょう。

ざっくりとですが、国際園は赤く囲った場所。住所は岐阜市花園町。黄緑色で囲った岐阜駅からは徒歩10分ほどの場所にあります。また、国際園からJR東海道本線の高架下を抜けて5分ほど歩くと金津園があるという立地です。

この国際園ですが、実は岐阜駅の北、金(こがね)神社の境内である金公園に端を発したのでした。金神社とはその名の通り金色の鳥居が特徴的で、古くから金運、財運に利益があるとされてきました。

そして戦後になって、金神社に闇市が発生し、いつしか私娼窟と化したそうです。その後、都市計画などの点から立ち退き問題が発生して、1956年に今の花園町へと移転したのでした。

1956年と言えば、売春防止法が施行されたわずか1958年の2年前のことです。そして1956年には法律が成立していたということで、飲食店としての経営を見据えて移転したということです。

金神社の闇市時代には60数軒あった業者のうち、移転に踏み切ったのは約半数、残りの半数は2年後の売春防止法施行を見据えて廃業せざるを得なかったのでしょう。

歩いていると、旧赤線地帯と同じように、営業中のお店では旅館やバー、スナックなどに姿を変えて現在も営業中のようです。もちろん、半ば廃屋と化しているような建物も多く、かなりのお店が廃業してしまったことは間違いないのですが。

しかし岐阜の裏歴史を伝える貴重な場であることは間違いないようです。

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