早朝の京都刑務所外周りを散策した

京都刑務所は山科区の椥辻にある収容人数約1500人の刑務所である。今回はその周りを散策したときの様子をお伝えしようと思う。

山科区を南北に走るメインストリート、京都外環を東へ入ると白い壮大な壁が姿を現す。時刻は早朝、ときおりウォーキングする人は見かけるが、それ以外は車や人通りもなく、とても静かであった。

京都刑務所は東西に約200mの壁が延びている。付近は椥辻という住宅街で、外環の真下を通る地下鉄東西線の椥辻駅が近いということで、東西線が開通した1997年以後に建てられた比較的新しいマンションも多く立ち並んでいる。

しかし、もともと山科は戦後の高度成長期に開発された住宅地が多く、当時は車での移動が想定されていなかったので迷路のように道が狭く入り組んだ住宅街が多く見られる。

ちなみに京都刑務所では移転案が出ており、これが実現すれば10万平方メートルという広大な土地が街中に生まれることになる。山科のメインストリート、地下鉄椥辻駅の近くということで、住宅地としての需要はかなりありそうだが、巨額の税金が必要な上、2001年に全面改築が行われたばかりということで実現しそうもない。

刑務所近くにはちょっとした公園があり、少しヤンキー風の若者がベンチで寝ている・・。山科というとガラがよろしくないというイメージもあり、まさにイメージ通り。まあ週末だからよくあることか。

京都刑務所は四角の形をしており、ここが南東側の角である。監視カメラがあるところを見ると、ここは刑務所だったんだと再認識させられる。

このまま、反時計回りに刑務所の外周を回っていったわけだが、ただ写真を見てもらっているだけというのもあれなので、京都刑務所の概要について説明しながら見ていこう。

京都刑務所は男性受刑者を収容する施設で、B指標受刑者、F指標受刑者、LB指標受刑者が対象となる。B、F、LB・・ってなんだという感じだったので、調べてみると処遇指標というのがありるらしい。

・D  拘留受刑者
・Jt  少年院への収容を必要とする16歳未満の少年
・M  精神上の疾病または障害を有するため医療を主として行なう刑事施設等に収容する必要があると認められる者
・P  身体上の疾病または障害を有するため医療を主として行なう刑事施設等に収容する必要があると認められる者
・W  女子
・F  日本人と異なる処遇を必要とする外国人
・I  禁錮受刑者
・J  少年院への収容を必要としない少年
・L  執行刑期が10年以上である者
・Y  可塑性に期待した矯正処遇を重点的に行なうことが相当と認められる26歳未満の成人

・A  犯罪傾向が進んでいない者
・B  犯罪傾向が進んでいる者

これらを当てはめると、京都刑務所で収容されているB、F、LBとは以下受刑者を意味する。

B: 刑期が10年未満の犯罪傾向が進んでいるもの

F: 外国人

LB: 刑期が10年以上の犯罪傾向が進んでいるもの

これらの受刑者が収容されているということになる。

詳しい情報については以下のサイトを参照して頂きたく思います。

http://keimusho.net/38kyoto.html

今度は北東側の角にやってきた。ここにも監視カメラが備え付けられており、バシバシ写真撮影していて大丈夫なのか…という気にもなってしまう。

しばらく白い壁沿いに歩いていくと、壁がなくなり門が現れた。フェンスの先が関係者のみ立ち入ることができる区域。

刑務所の北側には団地があり、ここが職員用の宿舎である。そして宿舎の外は門が閉まっており、出られなくなっていた。あ、しまった、もしかしたらここも刑務所の土地内なのでは。

古くて使われているのかいないのか分からないテニスコートを眺めていると、守衛のような人がこちらへ近づいてきた。これは怒られるのでは・・・写真撮影もしまくってたし・・・と思ったら何のお咎めもなかった。単に見回りをされている様子だった。

先ほどの写真を見ていただきたいのだが、北東側からは壁沿いに自由に入っていってもよい風だった。ので多分問題ないかと。

刑務所の北西側には来所者用の入口があり、受付を行う建物前は広場のようになっていた。

案内看板もあり、来所者も分かりやすくなっている。

出所出迎えの人向けに一〜五まで規則が書かれていた。一以外はけっこう常識的なことで、単なるマナーである。

正門のすぐ外には刑務官募集の貼り紙や各連絡事項が書かれた紙が掲載されていた。

刑務所の東側にも職員の宿舎がある。ここは完全に立ち入り禁止となっている様子。約1500人の受刑者に対して何人の刑務官がいるのか気になるところだが、この様子だとけっこう多いのではないかという気もする。

京都刑務所では木工作業、印刷作業、洋裁作業などが作られており、それぞれの工場で担当の職員がいるんだとか。

引き続き刑務官の宿舎に沿って歩いているとお地蔵さまが見られた。この地蔵尊は京都刑務所を新築していた大正時代に、敷地内で散見されたものを集めて奉安しているものだそうである。

昭和2年に京都刑務所が京都市上京区からここ山科区へ移転した際に、職員やその家族に原因不明の病死者が出たことがきっかけとなり、放置していた地蔵尊を官舎内で供養したという。

しかし、その後増築などで地蔵尊を奉安する場所が転々となり、供養も疎かになってしまったという。そして、昭和26年に奇病が流行ったのは地蔵尊がきちんと供養されていないからということで、この場所に福堂を建設し、毎年8月下旬に盛大な供養を行っているらしい。

何にせよ、過去にあったものを軽視して、供養を疎かにするとロクなことが無いというのはここ京都刑務所でも同様のことだそうで。

刑務所の南西角にやってきた。これで刑務所の外を一周したことになる。刑務所場所にふさわしい看板が立てられていた。

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