日本最大・西成地区の被差別部落エリアを歩く

ネットをはじめとする各メディアの影響で西成と言えばあいりん地区(釜ヶ崎)を思いうかべる人が多いのではないだろうか。

過去には暴動が起きたりと、インパクトが強いエリアで、すっかり西成=ドヤ街という印象が付いてしまった。もちろん今では高齢化が進み、福祉のまちといった方が適切かもしれないのだが・・。

しかし、西成にはドヤ街以外にも様々な顔を持っていることは、以前の記事でもお伝えしたとおりである。西成区が持つ様々な顔とは

さて今回は、そのうち「被差別部落」にフォーカスを当てて、西成の街を散策してみることにする。

浪速東(浪速区)

まず向かったのはJR今宮駅。南海本線との接続駅、そしてあいりん地区への最寄りの駅である新今宮駅に比べると少々存在感の薄い駅である。

駅前にはコーナンの店舗があったり、パチンコ店があったりと、やはり洒落た街とは程遠い。

実はここ今宮駅自体が、西隣の芦原橋駅と同様に、目的地の被差別部落のエリア内にある。

被差別部落といっても大阪の場合、戦前の工業化の時代から日本全国から労働者が集まり、何十年も前から「被差別部落に住んでいる人=被差別者の子孫」という図式は成立しなくなっているのは注意点と言えるだろう。

今は他の同和地区同様に、市営住宅が立ち並ぶ街となっている。

にしても他人が歩いていない。大阪環状線の駅近くとは思えない静けさ。

今回訪れた被差別部落は、現在の住所で浪速区と西成区にまたがる地区に存在する(していた)。そのうち浪速区側は以前芦原橋の記事でお伝えした地区にあたる。

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大阪人権博物館・リバティおおさかもその地区にある。

一方西成区側は

北開1~2丁目、中開1~3丁目、南開1~2丁目、出城1~3丁目、長橋1~3丁目、鶴見橋1~3丁目、旭1~3丁目、北津守1~4丁目

である。もちろん、西成区と浪速区というのは近年区割りされたもので、かつては浪速区側と西成区側が一体となった巨大な被差別部落地域が存在していたことになる。

今回はこれらの地域を散策していく。

こちらは浪速第七作業場。同和対策事業の一環として設置された作業場である。こうした作業場は複数あったものの、多くが取り壊されてしまった。

作業場では革の加工作業などが行われているという。作業場は2階建てで30mほどの長さである。浪速と名前が付けられているので、こちら側は浪速区。

道路の進行方向右(北)が浪速区。左(南)が西成区である。

こちらは作業場の横にあった建物。コミュニティセンターのようなものだろうか。

今は使用されていないようだ。看板もはがされていた。

建設中の建物もある。ここにも市営住宅ができるのだろうか。

ここからは西成区に入って南方向へ進んでいくことにした。

北開地区

浪速筋を南下していく。

やはりここも空き地が目立つ。

同和地区と言っても今風の住宅があるところを見ると、もうすでに住民がごちゃ混ぜの状態なんだろう。

いまどのような同和教育が行われているか知らないが、現在の問題というよりも、完全に過去の問題として取り上げられるようになるまでもうそれほど時間を要しないのかも知れない。

油肥工業所がある。部落の産業では牛やら馬を解体する仕事が多かったため、それに関連して油肥の製造工場も作られた。

散策しているとけっこう町工場が多いことに気づかされる。

北開の市営住宅。大阪市営住宅はしっかりと、住宅案内図が示してある。

こちらが北開の市営住宅。けっこう新しいもので、調べてみると平成11年に建設されたという。

一方で同じ地区内には昔ながらの集合住宅、いわゆる文化住宅のような建物も残っている。

こんな看板を見ると、治安があまり良くないのかなと思ってしまうが、普通に歩いている分には特に問題ない。

さらに南へと歩いていく。街灯が薄暗く、女性の夜歩きはちょっと・・という感じはするが。

自転車が多い。ここから中開へ入る。

中開地区

向こう側に見えているのが市営中開東住宅。

西住宅は国道43号線の南側にある。

駐車場を抜けると、東西に通る国道43号線に出てきた。西に行けば津守、東に行けば新今宮や天王寺がある。東の方にはわずかに阿倍野ハルカスが見える。

国道43号線を渡ると南開、出城地域に入る。

南開地区、出城地区

こちらはアパートかと思ったが、シャッターがあるので違う。後で調べてみると、出城東共同作業場であった。

作業場がところどころあるほか、意外に多かったのが会社の事務所や倉庫である。

街灯が少なく、夜来ると少々不気味。

本当は明るいうちに行きたかったのが、伊丹の方で写真撮影していたらこんな時間になってしまった。

こんな時間と言っても夕方5時なのだが、この時期の日の短さをなめていた。

逆に暗い方が雰囲気はある?かも

今度は市営住宅。出城東住宅

東棟と西棟がそびえたつ。

市営住宅、新しい住宅、会社の倉庫や工場。この繰り返しである。

こちらは社会福祉研修情報センター。

同和事業関連の施設かとおもったのだが、調べてみると市内各地にあるもので関係はなさそう。

特別書くこともなくなってきたので、写真オンリーで街の様子を振り返ることにする。

こちらは市営出城通第4住宅3号館。だいぶ南の方にやってきた。

この辺りから、ちょっとずつ昔ながらの住宅も増えてきた。

長橋地区

ここからは長橋エリアへと入っていく。

長橋エリアは昔ながらの住宅が残っているゾーンである。

そして長橋の南にある鶴見橋に近づくにつれてその傾向は強くなる。

長橋では空き地や市営住宅があるものの、下町風の街並みが広がる。

長橋から鶴見橋へと入る。

鶴見橋地区

鶴見橋は完全ド下町といった感じで。道路が狭く民家が密集している。

鶴見橋商店街。東西に約1㎞アーケードが続いている。

もう少し周辺を歩いてみようということで、しばらくウロウロすることに。

大阪でもここまでの下町感がある街はないかも知れない。

それほど空気感が違うというか、平成も終わるのに昭和にタイムスリップしたかのようである。

津守方面にもアーケードが続いている。

再び鶴見橋商店街に戻って、東方向に移動する。ほぼ100%地元民といった感じ。人通りはそれなりにあった。(人が映らないタイミングで撮影しているので閑古鳥が鳴いている商店街に見えるかも)

アーケードの切れ目で、再び今宮駅方面へ戻ることにした。

にしても広い。私が初めて同和地区を訪れたのは崇仁地区であったが、そこもかなり面積が広い印象を受けたのを思い出す。

しかし、こちらはおそらくその4倍~5倍ほどの面積があるだろう。

一回りするのも一苦労である。今回取材を終えたあと、ほぼ全地区回っただろうと思って地図を確認したところ、旭、北津守、出城の一部を回り切れていなかった。

再び長橋エリアに。こちらは長橋第4住宅。

市営住宅と言っても新しいものが多く、夜は夜景が綺麗である。

ただ、ところどころゴミが散乱していたり・・

窓ガラスが割れていたりと

西成らしさ?も感じられる。看板には落書きも。

以上で今回の散策は終了である。京都、大阪の大規模な同和地区は大体訪問済みとなったので、次回は神戸に行ってみる予定である。

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