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飯能河原沿いのディープな街並み&飯能市街地のレトロな花街跡

林業の街として古くから栄えた飯能。西川材は有名で、入間川や高麗川、越辺川などから荒川を経て江戸の街へと運ばれた。西川材と名付けらた理由は、飯能が江戸の西に当たるからなんだとか。

そんな飯能だが、近年は他の東京近郊の街と同様に、ベッドタウンとして宅地開発が進んだ。飯能駅前には、商業施設が建ち並び、いかにも大都市郊外の街といった感じである。

とは言っても、歴史は比較的ある街で、飯能駅の北側を中心に古くからの街並みがしっかりと残っており、昔からそれなりに街が大きかったことが分かる。

どこにでもあるような再開発ビル、駅前のファミリー向けマンション、ロードサイドの安っぽいチェーン店といった、いわゆるファスト風土的な光景は、飯能ではあまり見られない。

反対に古くからの街並みが飯能では見られ、その代表的な存在が『飯能ぎんざ』なのではないだろうか。たばこ店、八百屋、写真店、お菓子屋さんなど、古くから地元に根付くお店が軒を連ねている。

ただ、一度火事があったこともあり、ずっと商店が続いているわけではなく、ところどころ空き地があったり、駐車場があったりと、商店街としての趣は失われつつあるのかもしれない。

かつて私がよく行っていた『丸美堂』というおもちゃ屋さんはもう見当たらない・・と思って調べてみると、一本北を通る道沿いに移転したそうだ。

さらにもう一つ、飯能の歴史を感じられる場所で紹介しておきたいことがある。それがかつて飯能にあった花街だ。今回、飯能に大規模な花街や色街の跡があると知り、探してみることにした。

飯能銀座を西に歩いていくと、今度は飯能大通りに出てきた。

飯能大通りも西へ行くと、丁字路に突き当たる。丁字路には公民館などの公共施設があり、その1階部分は駐車場となっていた。

駐車場からは飯能河原を見ることができる。飯能河原は入間川が蛇行したところにできている大きな中州である。私が子どもの頃は、花火大会や魚獲り大会が行われていた記憶があるのだが、今も続いているのだろうか・・・

飯能河原で見つけた廃屋と大量の流木

幼少期の想い出に浸りながら、飯能河原に降り立ってみた。川の流れが変わっていたり、川沿いにデッキが設置されていたりと、当時と変わってしまっている部分もあるが、赤い鉄橋や広い河原は変わっていない。

周りを見渡していると、大量の流木が落ちているのを見つけた。入間川の上流はほとんどが山間部を流れているため、洪水が発生するたびに、蛇行している飯能河原に辿り着いたのであろう。

飯能河原から下流は平野になっているので、ちょうど飯能河原が山間部と関東平野の境目となっていると言える。

さらに河原を散策していると、廃屋らしき建物を発見した。ポストの感じや草の茂り具合を見ると、間違いなく空き家なのだろう。

この建物、飯能河原から2、3mほど高い場所にあるのだが、おそらく大雨のときなどは浸水してしまったり、流木が押し寄せたりして大変だったかもしれない。

飯能河原沿いのディープな街並み

次に飯能河原から少し上流へ向かって歩くことにした。そしてこちらにも、少し趣のある建物群を見ることができた。

川沿いには住宅のほか、レトロな外観のカフェや美容室が何軒か建ち並んでいた。

道の入間川沿いには観光用に設置されているトタンの建物がある。ここは今でも使われているのだろうか。この日は年の瀬だったので、夏には営業している様子が見られるかもしれない。

そして、川沿いの道に続くのが低層の建物群だ。トタンが錆びついている箇所が非常に多く、どこか哀愁を漂わせている。

夕焼けが当たっていることも、そのことを強くさせている要因だろう。

道路から入間川を見るとこんな感じで、非常に自然を感じられるロケーションとなっている。

少し上から住宅群を見てみた。駐車スペースはお店や住宅に住んでいる人のものだろうか。

筏師を支えた飯能の花街

そろそろ、時刻は夕方。飯能河原に別れを告げ、再び飯能市街地に戻ることに。

飯能の花街は、「飯能遊郭」などという特定の名前があるわけではないが、埼玉県下で最大規模の花街であったという。

飯能の花街・色街は西川材と大きな関連があると言われている。

入間川上流の名栗村から西川材を運搬していた筏師が、江戸からの帰りに立ち寄ったのがここ飯能であったのだ。移動するだけでも相当な疲労であっただろうから、遊びも派手だったのだろう。

そうして栄えた遊郭は、明治時代には100名以上の芸者が在籍していたという。市街地でまず印象的だったのが、赤色とオレンジ色寄りの黄色でカラーリングされた建物。そして、その向かいにある「こんぱる」という看板である。

この辺は料理屋さんやスナックが立ち並んでおり、正確な範囲までは分からないが、花街の趣を残している。

さらに、その横に続く細い路地も良い感じである。飯能市街地は碁盤の目のように道路が整備されているのだが、この路地は斜めに通っている。

関西人向けに説明するのであれば、京都の千本三条と四条大宮をつなぐ後院通りを、かなり規模を小さくしたような、そんなイメージでいいだろう。

どんどん進んでいこう。市街地では似たような街並みが続いていて、各写真の位置関係までは分からないが、何となくレトロで

こちらの街灯も最近には無いデザインである。

遊郭とか花街を見物するのが好きな人間からすると、スナックのお店がカフェー調の建物に見えてしまう。ただ、ここ飯能の花街は赤線跡があったこともないため、遊郭があったと断言するのは止めておこう。

花街という絶妙な表現がピッタリで、地元の人にも嫌がられることはないだろう。

洋風建築以外にも、重厚な和風建築も存在する。それが老舗うなぎ店の「畑屋」だ。明治時代から110年以上の時を経た今も営業を続けている。

比較的古くからの建物が多い飯能市街地でも、その古さや趣、重厚感は際立っており、初めて来た人の目を引く存在である。

畑屋のすぐ近くには、和食料理店の八千代がある。こじんまりとしているが、こちらも木造建築の

そろそろ時間が来てしまったようなので、駅に向かうことにした。

それにしても人が少なく落ち着いた雰囲気だ。このような雰囲気は、首都圏でも都心から離れないと味わえないだろう。

またいつか来よう・・・。文字が剝がれた看板を見ながらそう思った。

しかし、料理店が多い。こちらは「小料理さかえ」

こちらのインパクトのある建物は「ブルームーン」というスナックだ。

「小料理屋ひよっとこ」

スナックや料理屋以外にもレトロな建物が多い。都会に疲れて、訪れるにはちょどよい観光地なんだろう。ムーミンパーク、ヤマノススメの聖地、今回紹介した飯能河原など、見どころは沢山だ。

同じくレトロな街並みが見られる川越、秩父などと肩を並べる観光地になってほしいと元市民としてそう思う。

帰りはJRの1日乗り放題、青春18きっぷを利用する。JR東飯能駅から八高線、中央線、東海道線を乗り継いで、今やすっかり地元となってしまった滋賀へと向かう。

 

 

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