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本日は滋賀県大津市にある廃トンネルにやってきた。ここは旧東海道線の廃トンネルで、明治13年に開通した。この年は東海道本線の東への延伸が行われ、このトンネルを通じて大谷~大津間が結ばれたのである。その後、大正10年に、現在山科駅~大津駅間をつなぐ東海道本線(琵琶湖線)の新逢坂山トンネルが開通し、この逢坂山トンネルの役目は終えた。
場所は滋賀県大津市の逢坂というところである。百人一首で「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂(あふさか)の関」と蝉丸が歌ったように、逢坂の関がある場所である。最寄の駅は京阪京津線の大谷駅、上栄町駅、あるいはJR琵琶湖線の大津駅である。国道1号線と京阪京津線とが並行して走っているところから東に小さな道を入ってすぐに逢坂山ずい道東口という看板が見えてくる。
この奥にトンネルが2本あるということだ。まずは手前から見ることにする。トンネルは石積にされており、なかなか歴史を感じさせる佇まいである。トンネルの中はとてもヒンヤリしており、心地よさとともに多少の恐怖感を感じた。トンネルの奥は10メートルほど入ったところで封鎖されていた。中には頑丈な銀色の扉があり、侵入を拒んでいるかのようである。そして扉のこちら側と向こう側で温度差があるためなのか、扉からは大量の水滴がしたたり落ちていた。
次にもう一本のトンネルの方に行くことにした。こちらは少しもトンネル内に入ることのできないように、トンネル入り口でブロックされていた。コンクリートで覆われており、白いドアがあった。ドアを開けてみようと試みたが、鍵がかかっていて開けることができなかった。
最初にも説明したようにこのトンネルができたのは明治13年のことだが、トンネルが2本あることからこの路線は複線だったことが分かる。おそらく右側のトンネルが大津方面、左側のトンネルが京都方面に抜けていくものだろう。
これが京都大学の地震研究関連の施設のようである。
最後に・・・
このトンネルは開業から130年以上経過しており、大変古いトンネルである。確かに廃トンネルには違いはないのだが、路線の廃止後も活躍してきた。廃止直後は生活通路として使用されてきた。また、戦時中は住居を失った人が一時的に住みついたりもした。そして現在トンネル内は京都大学による地震測定の研究が行われているようである。
さらに鉄道記念物として文化財にも指定されており、現在もなお生き続けるトンネルなのである。
参考サイト➡ http://haisentn.s78.xrea.com/oosakayama/1.htm
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