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本日は京都のとあるマンションをご紹介する。場所は岡崎のあたり。この辺は平安神宮や京都市美術館もあり美しい街並みが広がっている。都会すぎず田舎すぎず住宅街としても環境のよい場所と言えそうだ。
この日は10月上旬。空気は澄んでいて、上空にはうろこ雲が広がっていた。
地下鉄東山駅を降りて10分ほど歩くと、琵琶湖疎水が見えてきた。さらに丸太町通りまで歩くと、例のマンションが目に飛び込んできた。壁の塗り替えでもしているのかマンションは防護カバーで覆われていた。ストッキングのようにも見えてしまう。
カバーを被っていても、なにやらただならぬ雰囲気を感じ取れる。そして白いマンションと青い空、うろこ雲というなんとも絶妙な組み合わせである。
このマンションはメタボ岡崎というが、嵯峨野にはメタボ広沢という幽霊マンションがある。メタボ広沢ではオーナーの娘が自殺したと言われていて、心霊スポットとして有名である。そのメタボ広沢と同じような外観で名前も似ていることから、ここも幽霊マンションと間違えられることもあるそうだ。実際に2ちゃんねるではここが心霊スポット扱いされているスレッドもあるくらいだ。住民にとっては迷惑な話である。
メタボ岡崎は1980年に建築されたマンションである。築35年を越えていることから白いコンクリートは黒ずみやや老朽化した印象を受ける。今度は丸太町通りを渡ってマンションに近づいてみる。交差点には最近よくあるタイプのマンションが建っている。
メタボ岡崎に近づくとコンクリートの入り口が見えてきた。やはり80年代に作られたというだけあって、やや古臭い印象を受けた。入り口にはジャズスタジオと書かれた看板がある。一階に入居しているようだ。
店員が中にいたのでマンションの中は撮影できなかったが後で調べてみると、地下はガレージになっているようだ。
他の角度から見えないかと辺りをウロウロしてみる。周辺は京都らしい、やや古い木造の住宅が建ち並んでいる。
しばらく歩くと住宅街へつながる路地が見えてきた。ここを抜けると別の方向からマンションが見えそうだ。
というわけで東側からのマンションの眺めである。やはりこのマンションの特徴と言えば出窓だろう。特に部屋の角が出窓になっていて、それが独特な雰囲気を醸し出している。
ところでなぜメタボ岡崎という名前がつけられたのだろうか。それは1960年代の黒川紀章など若手建築家のメタボリズムという建築運動から名づけられたものである。
「メタボ」と聞くと肥満を連想するが、新陳代謝という意味で使われている。当時日本は高度成長期にあり、人口が急増し、都市が拡大していった。それに応える都市計画、また建築様式がメタリズムで唱えられていたそうだ。
最後は丸太町通りの反対側から1枚撮影した。周囲は一戸建ての住宅が多いだけにミスマッチな感じもする。
現代の感覚では異形と感じ取れるが、高度成長期の建築センスが今もなお、お目にかかれるとはとても喜ばしいことである
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