1200年もの歴史を刻んできた京都には、数多くの花街が残っています。花街では料理屋、お茶屋、置屋(これらを三業という)があり、その中で芸姑や遊女がお客さんを接待していました。言うまでもなく遊女とは性的なサービスを行う女性のことで、現代風にいうと風俗嬢とか売春婦ということになるでしょうか。
1958年の売春防止法成立以降、こうした場所では売春は行われておらず、お茶屋、お料理屋、置屋として営業しています。京都では上七軒や宮川町、祇園東、島原などが代表的な花街として知られています。
今回紹介する五条楽園は花街と呼ばれることはありませんが、お茶屋や旅館を中心にお客さんを接待する業務が行われていました。そしてここでは売春防止法の成立以降も性的な接待が行われていたのです。
ところが、2010年に売春防止法違反で五条楽園の経営者が摘発されて、営業を終えてしましました。まさに夢の楽園が失われてしまったのです。
今回、五条通りに立ち寄る用事があったため、せっかくなので五条楽園を見ておきたいと思い、写真に収めてきました。
五条楽園があるのは京都市下京区の鴨川沿いです。まずは五条大橋を目指します。
次に街中へ入って行くのですが、鴨川のすぐ近くを並行に流れている高瀬川に沿って南へ進んでいきます。
すると、いきなり立派な建物が見えてきました。「本家三成」と書いてあります。これはなんぞやと思って後で調べてみると、ここが五条楽園を代表するお茶屋とのことです。どうりで風格漂っているわけですね。
茶色の格子とエメラルドグリーン色?の屋根が絶妙なマッチングを見せています。
さらに奥へと進んでいきます。今度は突き当りのピンクのシャッターが見えてきました。ピンクのシャッター、これはおそらく・・かつて営業してたんでしょうね。
今度は窓にびりびりに敗れたテントのようながあります。そもそも人が住んで居るんでしょうか。
風俗の営業は廃止されているとはいっても、過去に摘発された業者があったりと色々とややこしそうな場所なので、撮影するのは結構緊張しました。もし現役で営業が行われていたら完全OUTというわけです。
ここもお茶屋のようです。先ほどの本家三成と違って、ぱっと見た感じ普通の民家です。全てのお茶屋で性風俗産業が行われていたわけではないので、ここはちゃんとした営業をしているお茶屋ではないでしょうか。
さてここまで来ると鴨川が見えてきました。なかなか良い環境です。
再び、街中へと戻っていきます。
こういう気の塀が残っているのは素晴らしいことです。塀は黒色の部分と赤茶色の部分に分かれています。
今度は妓楼っぽい建物を発見です。ただどこのお店が摘発されたか分かりませんし、売春防止法が成立する以前の遊郭跡かも知れないので、詳細は分かりません。
もう少し進んでいきます。こちらには「宿や平岩」と書かれています。ご覧のように今でも営業中のようです。素晴らしい建物なんですが、少し遊郭風のような気もします。ここもおそらく大昔は売春が行われていたんでしょうね。
レトロな雰囲気漂う建物には、眼科・外科医療器具の看板が掲げられていました。
今度は洋風の大きな建物がありました。
プレートには「トランプ・たるか」と書かれています。これは何なんでしょうか。
その下には右から読んで山内任天堂と書かれています。任天堂と関係ある建物のようです。
※情報提供あり
五条楽園の記事の山内任天堂は、あの任天堂の元本社です。今も所有はしてます。倉庫になっていたかと思います。
それにしても五条楽園とはどんな街なのか分からなくなってきました。ただの街ではないことは確かでしょう。
再び高瀬川沿いを北へ歩いていきます。右には旅館の文字が。
旅館ゆはらの文字が書かれた看板見えます。
しばらく歩くと銭湯が見えてきました。なかなか看板と窓の色合いが絶妙な味を出しています。建物は独特のオーラを放っていました。
今度は路地が見えてきました。中へ入るとかつてのお店が。
「かま田」と書かれていますね。
この路地は明らかに遊郭跡と思われる建物が数軒ありました。すでに取り壊されてしまったものもあるようで、こうした古くからの建物が無くならないよう、上手く空き家を有効利用できればよいのですが。
というわけで五条楽園の様子をお届けしました。
これだけ趣のある建物がある街並みで売春が行われているところは、日本全国探し回っても大阪の飛田新地くらいではないでしょうか。それだけに、2010年の一斉摘発で閉鎖してしまったのは残念な気もします。
夢の楽園はなくなったものの、性風俗のないお茶屋や旅館としてこれからも歴史を刻んでいくことと思います。