京都から見て北東側、すなわち鬼門にあたる比叡山。平安京遷都後、最澄が天台宗を開くと比叡山は王座鎮護の山として信仰を集めました。比叡山周辺には世界遺産の延暦寺をはじめ、数多くの寺院があります。そんな比叡山では、千日間山中を歩き回る荒修行、千日回峰行が行われています。お坊さんが、雨にも負けず風にも負けず、といった感じで荒行を重ねていくわけです。掃除地獄、看勤地獄とまとめて、比叡山三大地獄とも呼ばれます。
比叡山は私の地元でもあるので、千日回峰行の過酷さについてはよく耳にしてきました。しかし、実際にどのように行うのかは知らないので、今回調べてまとめてみました。まずは千日回峰行とはいったいどんなものなのか見て行きましょう。
千日回峰行のやり方
1年目~3年目
比叡山の三塔(東塔、西塔、横川)、それに山麓の日吉大社を1年に100日間礼拝します。その箇所なんと300、毎日30㎞もの山道を歩き回らなければなりません。
4年目
内容は1年目~3年目と同様ですが、4年目からは200日間礼拝します。4年目(これまで合計5百日間)を終了すると「白帯行者」という称号が与えられます。グレードアップするような感じでしょうか。
5年目
ここでも200日間山を歩き回り、礼拝を継続しなけらばなりません。そして、700日を過ぎたところが超難関。九日間断食、断水、断眠、不臥(横にならないこと)を行って念誦修法に専念する「堂入り」が行われます。これを見事クリアすればついに「大阿闍梨」という称号を手にすることができます。
※大阿闍梨(僧侶の模範となる称号)
6年目
ここからはこれまでのコースに加えて、雲母坂(京都側の登山道)を経て赤山禅院(京都・修学院)までが追加され、1日60キロのさらに過酷な行程になります。
7年目
7年目の行程はさらに過酷なものになります。
このコースを一日で回りきらなけらばなりません。その距離なんと84㎞にも及びます。
千日回峰行を達成したひとたち
これだけ過酷な千日回峰行ですが、過去には満行(達成)した人はいるのでしょうか。調べてみたところ、過去50人の人が満行していたのです。しかもなんと2度にわたって達成した人がいるというのです。
1980年10月、1987年07月、酒井雄哉(46人目、戦後9人目)
酒井氏は近年回峰行を満行した人として有名で、テレビや新聞などのメディアに取り上げられることもありました。
おわりに
しかし一体どういった動機でここまでの修行をやり遂げることができたのでしょうか。とうぜん命の危険もあり、自分の限界ギリギリのところまで身を追い込むことになるでしょう。人並み外れた体力と気力がなければ達成は不可能です。特に不眠、断食などを9日間行う堂入りの最中、実践者には何が見えていて、どういったことを考えていたのかとても興味があります。残念ながら過去には堂入りで亡くなった僧もいたそうで、この行がいかに過酷なものであるかを分からせてくれます。
また、千日回峰行は途中で辞めることができません。
死へのプレッシャーを感じながら、これだけの礼拝を来る日も来る日も行うわけです。こんな苦行は日本、いや世界中見てもなかなかないのではと思います。こういうことを成し遂げる人がいること自体奇跡と言っていいでしょう。
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