衣笠開キ町にある砂防ダム内の集落とは
観光都市として世界中の人々が訪れる京都にはいくつか裏の顔があります。祇園など観光客で賑わいを見せる表の顔とは真反対。光が有れば影があるとはまさにこのことを指します。
京都だけでなく関西には被差別部落問題や在日韓国・朝鮮人問題など歴史的にややこしく、タブー視される問題が数多く存在します。今回紹介する衣笠開キ町の集落もそのうちのひとつで、戦後、朝鮮系の人たちによって不法占拠された土地なのです。特に砂防ダム内に集落が作られた、というフリーダムさがネット上で密かに話題になっています。
京都において在日韓国・朝鮮人による不法占拠の問題と言えば、宇治市のウトロ地区が有名ですが、ここ京都市北区も同様の問題を抱えています。
権利の問題はもちろん、集落が砂防ダム内にあることから以前から安全面でも心配されていました。2012年に京都を襲った豪雨・洪水では砂防ダム内に土砂が流入して約20戸が床上浸水という被害を受けました。
衣笠開キ町の場所
まずは衣笠開キ町の場所を地図で確認しておきます。
この集落があるのは京都市北区。周りには金閣寺などの観光地や立命館大学や佛教大学といった教育機関があります。実はこのへん京都市内にも関わらず鉄道空白地帯であることから、バスで千本北大路まで行き、そこから現地まで15分ほどの距離を歩きました。
現地の様子
まずは佛教大学のキャンパス内を通って、集落に近づいていきます。
ごくごく普通の住宅街を抜けていくと、崖が見えてきました。
下を覗くと、トタン製の屋根があります。ひと目見た瞬間これが、あの砂防ダム内の集落だと確信しました。
さらに手前をのぞきこむと、川が流れています。紙屋川といって天神川の上流部分にあたります。ここからすぐ南に砂防ダムがあって、その手前に集落が広がっているのです。
今度はもう少し北から、ダムの反対側へ回っていきます。
紙屋川は静かな水の流れを見せています。
反対側に周ると、今度は路上駐車された車がたくさん並んでいます。
近くには看板があり、車を放置するなと書かれているんですが。この辺は無法状態なのかも知れませんね。
もう少し移動すると、ダム内を見渡せる駐車場を発見しました。その駐車場から砂防ダム内の集落を身おろしてみます。
上の地図のように砂防ダムの縁に沿って家が連なっています。そして紙屋川の土手には畑があります。これだけの土地があれば農作物を作ることができ、半分自足的な生活も可能でしょう。
戦後、不法占拠された集落ですが、実際に集落を見ると、人々の生きていこうとする根性というか意思の強さが感じられました。
2012年には洪水によって、泥が流れ込み集落内が被害を受けました。そりゃ砂防ダム内なので、泥や砂が流れ込むのは当たり前なんですが、集落があるということで安全面から不安視されていたそうです。
さらに、ここもウトロ地区同様、行政から立ち退きを命じられているのです。しかし住民たちは立ち退く意思はないとのことです。
南の方には砂防ダムが見えます。にしても、砂防ダム内に家を建てようなんてなかなか思いつきません。名アイデアにも思えてきます。
いつまでこの集落は続くのでしょうか。ウトロ地区ではすでに解体作業が始まり、新たな公営住宅が建設されています。
この日は休日だったものの、人気はあまりありませんでした。
手作り感たっぷりの屋根。先人たちが作ってきた街。ここに住む人たちにとってはここが故郷なのは言うまでもありません。
砂防ダム内に集落を作るほどの開拓精神にあふれ、さらに洪水による土砂の流入にも負けない、そのような強い人たちです。まだまだこの地に集落が存続して行くに違いありません。
今後の動向に注目したいと思います。
追記
訪問日時は2017年4月。
・2018年再びここ衣笠開キ町が豪雨に襲われた。7月の西日本豪雨である。ダム内には水が溜まり、一部の民家は浸水の被害を受けた。今回も壊滅的な被害は免れたが、その危険性が再度指摘されている。