現在、大阪城や大阪城公園は大阪の代表的な観光スポットとなっているが、第二次世界大戦が終結するまでの間、日本最大の兵器工場が存在していた。
砲兵工廠が存在していた場所は、現在の大阪城公園、OBP、森ノ宮の電車車庫など当たる。1945年8月、終戦間近に米軍によって、工場のほとんどが破壊されるまで、広大な土地に工場が存在していた。
砲兵工廠が存在していた場所⇒
https://ja.wikipedia.org/wiki/大阪砲兵工廠#/media/File:Osaka-Imperial-Arsenal-fig.svg
その後、大阪城公園、大阪城ホールなどが整備されて今にいたるわけだが、跡地には当時の工場の一部が現存している。
京橋口近くに現存する大阪砲兵工廠旧化学分析場
工場跡はわずかに現存しているわけだが、その中で代表的な建物が大阪砲兵工廠化学分析場である。
この日、天満橋に用事があったので、その帰りに砲兵工廠の跡に立ち寄った。大川にかかかる歩道橋を渡って、大阪城の京橋口方面へと歩いていく。
歩道橋からは小さくだが、大阪城が見える。そして、木に隠れて見えにくいが、大阪砲兵工廠化学分析場を確認することができた。
東の方向にはOBP大阪ビジネスパークの高層ビル群を見ることができる。
川にかかる歩道橋を渡っていくと、化学分析場が大きく見えてきた。
赤レンガが鮮やかで、思っていたよりもきれい。黄色く色づいた葉っぱと赤いレンガがよくマッチしている。
表門前
歩道橋を渡り切ると、表門がある。
現在は「明治天皇行幸」と書かれた石碑が建っているだけであった。
守衛詰所
こちらは守衛詰所。数年前までトイレが設置されていたのだが、老朽化に伴いフェンスが設置されて中に入れないようになっていた。
旧化学分析場
改めて、旧化学分析場を見ると、コンクリート部分が黒ずみ、戦後から長い年月が経ったことを感じさせてくれる。
かつては、この場で弾薬や化学兵器の開発が行われていたというから何とも感慨深い。
太平洋戦争の敗戦まで、日本はもちろん、アジア最大の兵器工場であった。
大阪砲兵工廠で製造されていた兵器は火砲。大きな口径の大砲を製造していた。当時の最先端技術が大阪砲兵工廠にはあり、化学分析工場もその一役を担っていたことは言うまでもない。
今は廃墟と化しているが、砲兵工廠の建物が生で見られる貴重な施設である。できれば建物内部の見学会なんかも開催してほしいものだが・・。
そんなことを考えながら大阪城外堀周辺の道路を歩いていく。
次に行くのは堺市。つづく。
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