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靴の街と言えば神戸の長田が有名である。今回は長田とケミカルシューズの歴史を紹介すると同時に、いつも通り街を散策することにした。
まずは簡単に歴史を振り返っておこう。
長田がケミカルシューズの産地になったのは、1953年の塩化ビニールの開発が契機である。ちょうどそのころ、安価な合成皮革を用いた靴の生産が開始され、多くの零細企業が誕生した。最盛期とも言える1969年には生産数量が1億足を超え、そのうち約40%が輸出されていた。
輸出が盛んであったが、その後の世界経済の変化によって、輸出産業から内需転換を余儀なくされてしまった。さらには1995年の阪神大震災では産地が大規模な被害を被ってしまった。
いずれにしても、従来のビジネスモデルでは通用しなくなっているという。このことについては、後で触れることにする。
さて、その靴の街長田は現在どのような様子になっているのか、靴の工場はあるのか散策によって観察してみよう。
まず降り立ったのはJR新長田駅。
駅を降りて北口方向へ歩いていく。まず目に留まったのはJRの駅高架に張られている動物の絵である。ブルドックにキリン・・・なぜと思ったが、各動物の脚を見ると靴を履いていることがわかる。
さらに高架には「くつのまちながた」という文字の看板が張られていた。やはりここは靴の街であることがわかる。
看板は他にもいくつかあり、街の復興、復興の計画図などが展示されていた。震災後に設置された看板である。
下のほうには「SHOES TOWN NAGATA 」「くつのまちながた」、さらには靴の絵まで表示されている。
こちらはくつのまちながたマップ。JR新長田駅を周辺にシューズ工場の位置が赤丸で示されている。事業所は日本ケミカルシューズ工業組合などに登録されているものということだ。
次に地下鉄西神山手線・西代駅方面へ向かって歩いていく。長田区は阪神大震災が起こった時の被害が深刻であったため、復興事業によって見た目はとても綺麗に整備されている。
少し歩いていくと、シューズプラザと書かれた看板を発見。靴のまち長田と関係がありそうなので、そちら方面へ歩いて行ってみよう。
少し歩くと、建物の右下に、赤いハイヒールが飾られてあるのが見える。どうやらここがシューズプラザのようだ。
にしても大きな靴。人間はもちろん、自動販売機よりも背が高い。滑り台サイズである。滑り台みたいな曲線もあるし・・・。
折角来たことだし、中へ入ってみよう。中は靴屋さんが何軒か入居しているようで、ちらほらとお客さんの姿が見られる。
靴屋さん以外には、展示スペースがある。綺麗な椅子と机で休憩できるようになっている。
展示スペースにはケミカルシューズに関する説明文が掲げられていた。この看板ではケミカルシューズ誕生の歴史が紹介されていた。
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ケミカルシューズとは?
そもそもケミカルシューズとは何なのか、私自身知らなかったので調べてみることにした。
ケミカルシューズとは様々な化学素材を利用した靴のことである。ケミカルシューズ誕生は昭和27年。戦後の不足にあえぐ日本において、ビニールシートを利用した靴が考案されることになったのだが、その地が神戸・長田であった。
その後、ケミカルシューズ発祥の地である長田では戦後の復興とともに市場規模を拡大していき、昭和46年には生産足数で4000万足、金額にして246億円までに達した。
輸出も盛んに行っていたものの、石油ショックなどの影響によって大打撃を受けた。その後、国内市場にターゲットを絞ると、バブル期に生産金額のピークを迎えた。
その後、バブルの崩壊、さらには平成7年の阪神大震災により、神戸のシューズメーカーは大きな打撃を受けた。
その後生産地が新興国へシフトした影響で、神戸のシューズメーカーは縮小していくこととなった。
そうした影響から、現在では大量生産ではなく、より高付加価値の産業としてケミカルシューズを発展していこうという流れがある。
場内には長田で製造された靴も展示されていた。神戸というブランドを確立すべく、各事業所では靴の製造に日々奮闘している。
ケミカルシューズと長田の歴史を振り返ったところで、シューズプラザを出ることにした。
お洒落な水路、本当にきれいに整備されている。少なくともハード面に限っては、完璧に復興されているように感じる。
こちらは水笠通公園。都会のオアシス的存在。グラウンドもあって、子どもが遊ぶのにもちょうどよさそうである。
新興マンションが立ち並ぶ。にしても、ケミカルシューズの事業所らしきものが見当たらないのだが;・・。確か地図にはけっこうな数の事業所があるということなのだが。
この辺にしては少し古い建物が見られるが、やはり事業所らしきものは見当たらない。
そうして歩いている間に、山陽電車の西代駅へ到着。
さて、再び新長田駅方向へ、来た道とは違うルートで戻っていくことに。
そういえば長田は在日コリアンが多く住んでいる街である。新長田駅周辺にはいくつかの朝鮮、韓国系の料理店が見られた。
さらに進むと、今度は事業所を発見。住宅のガレージのような場所で靴を製造しているようだ。
道理でいくら散策してもケミカルシューズの事業所が見つからなかったわけだ。
今度は新長田駅の南側へ行ってみよう。JR神戸線の高架を通っていく。
新長田駅の南側には、再開発の高層マンションが数多く立ち並んでいる。
再開発マンションのテナントにも韓流のお店が入居している。
こちらはコリアンダイニング・サムサム。いつかコリアタウンとしての長田も取り上げられれば良いなと思いながら歩いていく。
新長田駅から南へ3分ほど歩いていくと、広場が見えてきた。
ここは新長田公園。
公園の左(東)側にはケミカルシューズ産業会館があった。同館には組合企業91社を抱える日本ケミカルシューズ工業組合が入居しているそうだ。
シューズプラザに続いて、ケミカルシューズ関連だと分かる建物をようやく見つけることができた。一安心。
この辺で新長田駅に戻り、帰宅することにした。駅の入り口にも靴屋さんの広告が貼られていた。
街を歩いていて目立つわけではないが、ケミカルシューズの街であることを確認することができた。
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