今ほど安全技術が発達していなかった昭和時代には、列車事故はよく起こっていたわけですが、その一つが西成線の列車脱線火災事故です。
今回、何を思い立ったか、西成線列車脱線火災事故を訪れ、石碑にお参りしてきたので、ブログ記事にしてみました。ちなみに、事故現場付近では幽霊の目撃情報もあるんだとか。悲惨な事故現場ということで、そのような噂は絶えないことでしょう。心霊スポット紹介のサイトにも載っていました。
心霊の噂⇒西成線列車脱線火災事故
事故現場を確認しておきます。事故現場は大阪市のJRゆめ咲線、安治川口駅付近です。
環状線の西九条駅で乗り換え、ひと駅で到着します。多くの乗降客で賑わうユニバーサルシティ駅に比べると、ここ安治川口駅は閑散とした印象を受けます。
西成線列車脱線火災事故
西成線とは、西成鉄道(大阪駅~桜島駅(天保山駅までの時代もあり))が前身で、1906年に国有化されて成立した路線です。その後、大阪環状線が分離したことにより、1961年から桜島線(西九条駅~桜島駅)として営業中しています。
ちなみに西成線と言っていますが、西成区にあるわけではないんですね。
西成線列車脱線火災事故は、1940年に発生した事故で、当時はガソリンカーが使用されていたため、横転後に火災が発生して、死者189人、負傷者69人を出す惨事となってしまいました。
直接の原因は、列車が通過中にもかかわらず、分岐器を転換したことです。
西成線列車脱線火災事故の様子 wikipediaより引用
事故当時、列車が遅延していたこと、さらに戦時中の戦略物資として統制されていたガソリン消費を気にして、操作係が誤ったタイミングで分岐器を操作してしまったのです。
列車遅延を焦ったことによる操作ミス・・・当時衝撃を受けたJR福知山線脱線事故を思い出します。
詳しい解説記事はこちら⇒西成線列車火災脱線事故
慰霊碑へ行く
さて、安治川口駅周辺に西成線列車火災脱線事故を追悼する石碑があると聞いたので、駅を降りて西側に進んでみます。
この辺は大阪市内ですが、雑踏はなく広々としています。5分ほど歩いていくと、左手に慰霊碑が見えてきました。事故から84年経過した今も、石碑前にはペットボトルのお供え物が多数あります。
さらに石灯篭には千羽鶴もつるされており、今でも大事にされている様子が分かります。階段をのぼり、慰霊碑前でしっかり拝んておきました。
しばらく周辺を散策してみましょう。付近には安治川口北公園があり、散策やランニングしている人の様子が見られました。
しばらくJR安治川口駅ホームで過ごしてみました。安治川口駅は旅客駅だけでなく、貨車検修庫、貨物ホームがあり、JR西日本にとっては重要な駅となっています。
ここで189人が犠牲になる事故が発生したというのは、今の風景からは想像できません。ただ、そのことを思うと、とても胸が痛みます。合掌。
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