DEEPな街歩き

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大和郡山市の遊郭・洞泉寺遊郭跡を訪れた

大和郡山市には奈良の三大遊郭のうち、2つの遊郭跡がある。洞泉寺遊郭はそのうちのひとつで、最盛期には貸し座敷が17軒ほどあったという。今でも格式高い妓楼が綺麗な姿で保存されている。
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妓楼の残骸【東岡遊郭跡】近鉄郡山駅から徒歩10分

今回、奈良の三大遊郭のひとつ東岡遊郭の跡地を訪れた。近鉄郡山駅から南東に10分ほど歩くと、妓楼の跡地が見えてくる。大正時代に最盛期を迎えた遊郭は戦後GHQの指導の下、赤線地帯となる。さらに1958年の売春防止法成立により、事実上遊郭としての営業は終了したが、ここ東岡遊郭では引き続き売春が行われていたんだとか。
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奈良の三大遊郭跡のひとつ【木辻遊郭】を訪れた

奈良の中心付近からほど近い場所に、江戸時代初期に誕生した木辻遊郭の跡地がある。東木辻町、鳴川町、瓦堂町一体にはかつて遊郭の座敷が存在していた。規模は大きなものではなかったが、今でも所々にその名残りがあり、静観荘は現役で営業中の元遊郭の旅館である。
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大阪屈指のディープタウン十三を散策

関西一の規模を誇る巨大ターミナル・梅田から阪急電車に揺られること数分、淀川を越えると十三駅に到着する。どちらかというと上品なイメージのある阪急沿線の駅でありながら、イメージとは正反対の下町感あふれる街が十三である。 そういえば先日、関...
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被差別部落の伝統食も一般化?【油かす・さいぼし・ホルモンなど】

先日、伊予製麺で「大阪名物かすうどん」というメニューを食べる機会があった。かすとは油かすのことで、西日本では被差別部落のソールフード、伝統食として食べられてきた。それが今や一般社会でも流通するようになっている。そのほか、焼き肉の大人気メニューであるホルモンはもちろん、サイボシなども一般的な食事になりつつある。
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【2つの顔を持つ街・鶯谷】駅東側に広がる怪しいゾーン・鶯谷駅周辺を散策

山手線・京浜東北線の鶯谷駅には、東京藝大や博物館があったりと文教地区としても知られる。しかし、駅の東側にはラブホ街の密集地帯があり、怪しさ満点のディープゾーンが広がっている。主に、無店舗型風俗の接待場所となっている。さらに中国人系の風俗関係者による客引きも行われているという。鶯谷は吉原などがある台東区と行政上は同じで、その関係者の出入りもあるという。このように、高架道路でつながっている鶯谷駅の東側と西側ではまったく違った街並みとなっている。
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王将事件の現場を訪れた

2013年に起きた王将射殺事件では、王将フードサービスの4代目社長、大東隆之氏が何者かによって殺された。大東氏の人柄は良かったものの、新規出店に関して暴力団との縄張り抗争があったほか、ブラック労働の問題もあり、その矛先が当時の社長に向けられたものと考えられる。九州暴力団のDNAと一致したことや、工藤会の存在などいくつかの手掛かりがあるものの、未だ未解決事件のままである。今回は、事件現場となった山科区西野の住宅街にある王将フードサービス本社を訪れた。
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【旧橋本遊郭散策】駅からほど近い場所にある遊郭街はまだまだ現存していた

京都府と大阪府の県境に旧橋本遊郭という遊郭跡がある。八幡市の京阪橋本駅から歩いてすぐの場所、京街道(大坂街道)と大谷川に挟まれてかつての色街(遊里)は存在する。淀川の渡船近くに位置することから宿場町としての役割を果たしており、全盛期には80軒を超える建物数を誇っていた。売春防止法の成立によって橋本遊郭跡となったが、現在でも当時の趣がしっかりと残っていた。
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闇市の私娼窟に始まった青線地帯・国際園とはどんな街か

岐阜で遊郭と言えば金津を思い浮かべる方は多いでしょうが、金津園から数分歩いた場所に国際園という元遊郭街があります。国際園は戦後、金神社の境内にて、闇市の私娼窟に始まった旧青線地帯で、非合法に売春が行われてきました。現在の花園町に移転したのは1956年のこと、ちょうど売春防止法が成立した年でした。
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岐阜駅前の旧赤線地帯・金津園をおとずれて

岐阜駅から南へ数分歩いたところには東海地区最大規模の歓楽街があります。金津園といい、戦後はGHQの管理体制のもと、赤線地帯として売春が行われていました。金津遊郭としてはじまり、その後、西柳ケ瀬、東中島と移転し、現在は紡績場の跡地にあります。区画内には約50店舗があり、1958年の売春防止法成立からは現在までソープランドとして営業中です。
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