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まさかの偽物 廃墟と化した尾道城を訪れた



西の禁書目録も今回で中国地方進出です。まずは広島県でも屈指の観光地、尾道についての話題です。

今回紹介するのは尾道城という偽物のお城です。もちろんもともと尾道城というものは存在していたそうで、そのパロディ、いや復元ということになります。もともと観光事業として1964年に尾道商工会が建設したものの、1992年に閉鎖され、現在は廃墟として丘の上に佇んでいます。尾道の街並みととも紹介しようと思います。

尾道市について

尾道は瀬戸内海に瀬戸内海に面し、古くから栄えた都市です。1999年にはしまなみ海道が開通し、四国と陸路で結ばれました。さらに尾道市の北部から松江まで南北に延びる中国横断自動車道の尾道松江線の開通によって、東西南北への交通の利便性が高まり、瀬戸内の十字路としての役割を果たしています。

一方で「文学の街」「映画の街」というネーミングが付けられるなど、文化面においても全国的に有名です。文学では林芙美子、志賀直哉などが居住し、尾道が舞台になった作品を発表したことでも知られています。
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尾道のまちなみと尾道城

尾道は瀬戸内海と山との狭窄部分にある街です。山の傾斜に住宅街が密集しているため、坂の街と呼ばれることもあります。

青春18切符による5時間以上の移動が終えて、尾道駅を出るとお洒落なオレンジ色の駅舎が見えてきました。

駅前には芝生の広場があり、とてもよい雰囲気が感じられます。

尾道駅からすぐのところには瀬戸内海が広がり、遊覧船やタンカーが行き来している光景を見ることができます。

そして駅から少し東へ歩くと尾道商店街があります。古くからある商店街ですが、どことなく洒落た雰囲気が印象的です。

ここから山側へ上がっていくと千光寺という有名なお寺があります。途中は路地が続き、まさに坂の道といった雰囲気を楽しむことができます。

千光寺公園の展望台からの景色は絶景です。尾道の街並み、そして瀬戸内海、しまなみ海道を見渡すことができます。

この展望台で地元のお爺さんから尾道城の情報ゲットです。どうやらお爺さんは、観光客に地元尾道の解説を行っているようです。

尾道城の天守閣にはしゃちほこが2つあったが、1つは台風によって壊れてしまったとのことです。確かに写真で見ると、しゃちほこの1つが取れて無くなってしまっているのを確認できます。

千光寺公園の展望台を訪れたあと、尾道城に行ってみました。尾道城の「全国城の博物館」と書かれています。ところどころ字が剥がれていて少し哀れにも感じます。

そりゃ1992年に閉鎖されたんですもんね・・。ここで尾道城の概要についてwikipediaより引用しておきます。

近世の城の天守を模した建築物であり、歴史的な価値は無いが、外観は城であるためにその呼び名がある。
市内には戦国期の城跡はあるが、隣りの福山市の福山城天守(戦災で焼失、昭和41年復元)の影響を受け、昭和39年(1964年)に尾道商工会が観光事業の一環として外観の一部を弘前城天守に模した施設「全国城の博物館尾道城」として建設した。建築は鉄筋コンクリートの三層三階、望楼型の体裁を取っている。尾道駅の北側の丘陵上に立地し、目立つこともあり尾道市のシンボル的な存在になったが、歴史的な背景が全くないためにむしろ景観を汚すものであるという意見もあり、建築当初から厳しい論争にさらされた。
1990年代に閉鎖。その後は廃墟化している。尾道市ではこの建築物の今後の利用法に関して議論をしているが、結論は出ていない。

しゃちほこが取れてしまっても修繕されないところを見ると、ここは廃墟であることを認識できます。

尾道城から坂を下っていきます。今回、意外と下り坂がキツいことに気づきました。

さすがは「坂の街」尾道。住宅街の間には無数に路地の坂道が見られます。

さらに、夕暮れ時の瀬戸内海を眺めながら、階段を下っていきます。

坂の下から、さきほど訪れた尾道城が見えます。すでに街のシンボルとして定着しているようです。

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感想

尾道城の博物館は建設当初から地元の人々の間で反対意見があったそうです。結局30年も経たないうちに閉館してしまったわけですが、何となく街並みに溶け込んでいるように私は感じました。今後、取り壊されるのか保存されるのかはまだ決まっていないようです。しかし折角復元されたお城なので、歴史的価値はなくても予算が許す限りは保存していく方向でお願いしたいものです。

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