みなさんは軍人病院という物々しい名前を耳にしたことはあるだろうか。軍人病院がある場所、正確にはあると噂される場所は京都府八幡市である。八幡市と言えば石清水八幡宮が有名だが、軍人病院も石清水八幡宮がある男山のどこかに存在する(らしい)。
軍人病院については、心霊マニアや廃墟マニアの間ではとても有名で、京都屈指の知名度を誇っている。実際に存在して行くことができる場所であればまだしも、存在しているのか居ないのか分からないという状況で、これだけ有名なのは軍人病院というワードの響きが影響しているのではないかと考えてしまう。
さて、まずは軍人病院があるという場所を地図で確認しておこう。住所は京都府八幡市八幡西高坊付近。京阪電車の八幡市駅を降りると、石清水八幡宮へと続く男山ケーブルがあるが、その近辺に軍人病院はある。
この日、八幡市を訪れ、橋本遊郭、ホテルリベロで写真撮影したのち、橋本駅から八幡市駅へと移動した。もちろん八幡市駅から軍人病院への行き方など分かるはずもなく、駅周辺の道路から男山へと続く山道を探していた。
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八幡市駅周辺はすでに薄暗く、男山の山麓ということもあり、少々薄気味悪さを感じさせていた。
例の廃屋脇の道(ルート1)
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八幡市駅から少し西へ歩いたところにその廃屋は佇んでいた。
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とりあえず駅周辺を散策することに。ウロウロしていると、廃屋が見えてきた。もちろん軍人病院というわけではないが、調べてみると有名な廃屋らしい。
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そして、良く見ると、廃屋の上に道が続いていた。登ってみると竹藪の中に墓地があり、結局途中で道は途切れていた。
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廃屋の中を覗いてみると、住民が居た時の様子がそのままの状態で放置されている。ちなみにこの廃屋は「八幡市の廃墟」とか「京阪沿線の廃屋」とか「一家心中の廃屋」だとか言われている。
※後日、廃屋について以下のような情報を頂きました。ありがとうございます。
ここはかつては旅館でした。一家心中というのはデマで夜逃げです。
この元旅館のそばにある小さな踏切が激ヤバ地帯なんですよ。
隣の橋本地区がズバリ赤線地帯。
逃げてきた遊女がこの踏切で事故死。
以来、遊女の霊が引っ張る踏切だと言われています。
ついでに言うとこの旅館の奥の藪でも首つり自殺がありました。
駅から近くて便利なのに誰も住もうとしないのはそういう事情ゆえです。
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ちなみに例の事故物件サイト「大島てる」でも調べてみたが、ここの情報は出てこなかったのでやはりデマだと思われる。壁に張り付いている四角い物体はコンセントの跡である。
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しかし、ハンガーにタオルがかけられているあたりを見ると、生活感たっぷり。廃墟好きにはたまらない作品?となっています。不法侵入になるのは避けたいため、今回は侵入をやめておいた。
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さて、まだ完全に陽が落ちていないうちに、他の場所も調べておかなければならない。
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次に向かうのは男山ケーブル付近。途中、またしても廃屋を発見。今度は平屋の住宅というよりも小屋といった感じだった。
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男山ケーブル脇の道(ルート2)
しばらく歩くと、男山ケーブルカーの乗り場に到着。ケーブルの営業時間は18時台まで。すでにこの日は終了していた。そして乗り場の横には山の方へと続く階段が見えている。
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そして男山ケーブルの脇には、ケーブルに沿うように続く階段がある。
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階段を見上げてみると柵があり、柵から向こう側へは行くことができなくなっている。「静かに!」「立入禁止!」これでは先へ行くことができない。諦めるしかないのか・・。
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ケーブルの柱に書かれた看板には、階段から石清水八幡宮に行くことはできない旨が書かれているが、軍人病院への道も閉ざされてしまっている。
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仕方なく男山ケーブルを後にして次の場所へ向かうことにした。
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仕方なく男山ケーブルを後にして、八幡市駅へと戻り、今度は男山の東側から道を探すことにした。
男山の東側から(ルート3)
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今度は、地図に矢印で示したルートのように軍人病院を探すことにした。日はほとんど沈もうとしており、空の色は深い青へと変化していく。
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そういえば、軍人病院は実はビルマ僧院と呼ばれている。いろいろな噂があり、もともと野戦病院だったという説と宗教施設だったという説がある。
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野戦病院あととしては軍人病院、宗教施設あととしてはビルマ僧院と名付けられているらしく、どちらが本当かは分からない。
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この辺は土地勘が一切ないので、ただひたすら進んでいくしかない。真っ暗の中に鳥居を発見。大聖不動明王と書かれており、この先に神社があるらしい。
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この鳥居は鉄製ということで、盛り塩はしないようにという注意書きがあった。そんなことする人居るのかといった感じで、こういった注意書きは初めて目にした。
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鳥居を抜けると大聖不動大明王へと続く階段があったので、暗闇の中を登っていくことにした。途中、赤い鉄橋のようなものがある。
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何かと思い上を見ると、鉄橋が見えている。これは男山ケーブルの鉄橋で、ちょうどケーブルの下に来ているということになる。
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ケーブルはかなり高くにあるように見えるので、どうやらここは谷になっているようだ。さらに階段を上っていくと、明るい場所が見えてきた。
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ここが大聖不動明王という神社である。一見神社に見えるのだが、名前は不動明王。地図で調べても寺院のマークがついていたので、寺院ということになる。
江戸時代まで続いた神仏習合の名残りだろう。そういえば先ほどの盛り塩の注意書きについて、神應寺と書かれていたので、ここも神應寺が管理するお寺なのだろうか。
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しばらく辺りをウロウロしてみるが、廃墟らしき建物は存在しない。仕方なく引き返すことにした。途中神應寺へと続く道があり、少しそちら方向へも行ってみたがそれらしき建物は無かった。
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というか真っ暗で怖すぎで、さらに体力もなくなってきたのでこの辺で諦めて帰路へついた。
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一体、軍人病院?ビルマ僧院?はどこにあるのか、もう取り壊されたのか、それとも廃墟は幻で、はじめから存在しなかったのか、結局よく分からずじまいで廃墟探しの旅は終了した。
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分からないことだらけだったので、最後にネットでいろいろと検索してみた。どうやらケーブル横の道(ルート2)から1kmほど上に登っていくと、本当に廃墟があったという記録がある。写真も残っているのだが、建物の本当に基礎の部分だけであった。
さらに軍人病院(ビルマ僧院)について地元在住者の意見も。
この場所は、心霊スポットを紹介する雑誌やネットでは「軍人病院跡」や「ビルマ僧院跡」とされているが、八幡市在住の男性(82)はこの日、本紙の取材に「戦時中、結核の隔離病棟があったと記憶している」と話している。また、近くの住民によると、その廃虚の近くには墓地があり、「お墓に用事がある人以外は、地元の人間でも行かない」という。
https://yupukeccha.exblog.jp/13847795/より引用
この話が本当であれば、ビルマ僧院よりも軍人病院という表現の方が近いかもしれない。
また、軍人病院に関してはこんな事件も起こっている。
心霊スポット探して線路に 16歳、電車にはねられ死亡 京都 インターネットのサイトなどで「軍人病院」と呼ばれる八幡市内の心霊スポットに向かっていた … http://hotnews.infoseek.co.jp/article/208103/
— LalaOKA(ニュース) (@Lala_OKA) 2010年8月26日
16歳という若い命が事故で失われたという痛ましいニュースである。
そういえば昨年、秩父湖だったか心霊スポットに向かう途中で事故に遭うというニュースを聞いた覚えがある。霊の力とは言わないが、足元が危なかったり、暗闇だったりするので、興味本位で心霊スポットへ行くことはやめておいた方が良いかも知れません・・。



コメント
幾つか指摘を。
ます、八幡の廃屋ですが、旅館ではなく個人宅です。私が子供の頃には、ご老人が出入りするのが電車から度々見ていました。足か膝が悪かったのか、ゆっくりゆっくり歩いておられました。向かいのお家の方とも立ち話などをされていました。
その後お亡くなりになったのか、廃屋に。そして台風被害を受け、以降急速に崩壊が進みました。道幅的にも大きな車が入れず、解体等も難しかったようです。
ビルマ僧院は、宗教団体ではなく『宗教に嵌まった個人が自力での建設を目指した建物』ですね。
戦前に建て始め、不況や戦争もあり途中で断念。基礎をいくつか建てただけです。
本人は建設後に観光地として活用する予定だったそうです。
大正や昭和初期に多くあった遊園地(景色を楽しみ、保養する場所)を目指していたとか。
少年の踏切事故ですが、心霊スポットを探していたのは事実です。
探していたのはビルマ僧院ではなく『幽霊踏切』です。
この踏切、私が子供の頃にはありました。
男山のすそ野に小さな田んぼがあり、そこへ行くのに便利なように『田んぼの持ち主が京阪のフェンスを切り扉をつけて、勝手に踏み切りにしていた』というのが真相です。
その後、90年代に京阪がフェンスを補修した時に勝手な細工は撤去。フェンスも破られないようなものに替えました。
私が子供の頃は、田んぼの持ち主がフェンスの前で電車が通り過ぎるのを待っていたり、フェンスに私設設の鍵を掛けたり、田んぼの傍らで休憩している光景がよく見れました
(勝手踏切を使うと1-2分の道のりが、普通に向かうと20分以上かかったようです)
設置主が使う時だけ幽霊のように現れる踏切。というので、勝手踏切を『幽霊踏切』と呼ぶことがありました。
少年は幽霊踏切。という名前だけ聞いて、心霊スポットと勘違い。遠い昔に撤去された踏切を探して線路に入り、特急列車にはねられました。
(グループで来ていたので、何もないでは示しがつかなかったのでしょう。他の者が帰宅を促し、実際に還ったものもいたそうですが、頑なに幽霊踏切を探して線路に進入したそうです)
こんばんは、心霊好きの者です。丁寧な途中経路の写真付きで興味深かったです。でも、あそこからさらに1キロでは、これだけ暗くなってからは無理かも知れないですね。到達できなかった時はそのほうが良かった時でもあると思うので、御無理なさいませんように。廃墟で悪ふざけをしたり落書きをしたりする人は論外だと思いますが、そうでない方でも、なにか集まるものと相性によっては危なかったりすることもあるかも知れません、探検の際はどうぞ是非気をつけて下さいね。。御身お大切に。
近所の廃屋を勝手に心霊スポット認定しないで欲しい。
最初の旅館跡と言われるところも、定期的に持ち主が立ち入ってますよ。
赤線地域からだってそこそこ遠いし、踏切事故も起きたことは有りません。
何の言われもない、地域住民しか利用しない踏切。
迫力ある絵が撮れるからって、カメラ小僧は度々見てる。
マナー守ってるから問題ないけど。
踏切事故がよく起こるのは橋本駅のすぐ横の踏切でしょ。
八幡の軍人病院懐かしいです(^^)
僕は現在30歳で15年前ぐらいに10回ぐらい訪れたことがあり、記憶が正しければ10年前ぐらいにはケーブル乗り場近くにある入り口が封鎖され、例の若者が謎に電車で轢かれてしまう事故もあり、病院跡地も解体されてしまいましたので、現在は何もないかと思います。多分最後に軍人病院?を訪れた世代でもあると思います。ここでは色々な体験をしました。
コメントありがとうございます。
僕はここ数年で廃墟探索に興味を持ったので、残念ながら軍人病院を見ることはできませんでした。すでに伝説化している?軍人病院をお目にかかられたということで、羨ましい限りです。
サイト運営者より
大島てるは、登録できる情報の時期が近年に限られているので、例えば難波の現ビックカメラ、かつての千日デパートで火災があり、多くの死傷者が出たことも登録できません。
なのでデマと決めつけるのは早いですよ。
以前は「静かに!」「立入禁止!」の柵の先にビルマ僧院跡がありました。
大正末期から昭和初期にかけてとある宗教団体がビルマ僧院と宗教公園の建設を計画したものの石清水八幡宮のお膝元に訳のわからない宗教施設は不謹慎と言うことで地元の反対に遭い、資金難もあり建設半ばで頓挫、放棄されました。
いくつかの石像や建物跡などもありましたが近年心霊廃墟スポットとして有名になり、侵入者や騒音等の問題があり、また心霊スポットを探しに来た人が線路内に立ち入りひかれる事故があり数年前に完全に取り壊されました。
軍事施設、軍人病院というのはこのビルマ僧院跡の近くに「紀元2600年記念」「海軍大将」の文字のある記念碑があるためのデマです。
八幡市には過去軍関係施設の」記録はなく、隣接する枚方市楠葉に楠葉台場と言う幕府の砲台・関所があったくらいです。戊辰戦争で鳥羽伏見の戦いで負けた幕府軍がこの楠葉台場や隣接する橋本陣屋で再起を図るも対岸からの砲撃や新政府軍が接近したため大坂城へ撤退しました。
結核の隔離病棟は現在の八幡市民体育館付近に昭和50年代まで木造建物(廃墟)がありましたが昭和63年の京都国体のために取り壊され体育館とスポーツ公園が整備されました
>>1
ご指摘ありがとうございます。全て直しておきました。「岩清水八幡宮」・・・恥ずかしいです。
また、地元の方ならではの情報提供助かります。
やはりネットには信用できない情報が流れているなぁ・・と思いました。勉強になりました。
はじめまして。八幡市民です。えーと、修正のお願いを一つ。
「石清水」です。「岩」ではなく「石」(苦笑)。
ここは頼朝や尊氏も参った歴史深い神社です。
ついでに申し上げると。
冒頭に出て来た廃墟。
ここはかつては旅館でした。一家心中というのはデマで夜逃げです。
この元旅館のそばにある小さな踏切が激ヤバ地帯なんですよ。
隣の橋本地区がズバリ赤線地帯。
逃げてきた遊女がこの踏切で事故死。
以来、遊女の霊が引っ張る踏切だと言われています。
ついでに言うとこの旅館の奥の藪でも首つり自殺がありました。
駅から近くて便利なのに誰も住もうとしないのはそういう事情ゆえです。
ご注意ください。