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かつて宿場町として栄えた、東京・品川宿からほど近い場所に、鈴ヶ森処刑場は存在した。宿場町ちかくの街道沿いという多くの人が行き交う場所で、江戸時代の民衆への見せしめとしての働きもあったらしい。現在は旧東海道と第一京浜国道が交わる三角地帯に処刑場跡として石碑などがある。
江戸時代、庶民に科されていた処刑には、磔、火炙り、撥ねた首を公衆にさらす獄門など6つの種類があった。そのうちここ鈴ヶ森処刑場では火炙りの刑に適していると言われていたそうだ。これは鈴ヶ森処刑場が海に面していることと関係するという。東京魔界案内によれば「これはよく燃えるからではなく、風が強くて窒息できず、大森付近は海に近いため、風が強くなかなか窒息できないため、長時間にわたってより苦しむからだが、ほんとにムゴいことだ」と説明している。さらに海を利用した処刑法として、同書では「逆さ磔といって、波打ち際に磔にし、満ちてくる潮に顔が浸かるようにするひどい刑もあった」と紹介されている。
人間とは残酷なもので、人を苦しめるためのアイデアは幾らでも沸いてくるらしい。そういえば以前、世界の処刑方法を紹介した本を読んだことがあるが、その惨さと種類の多さには驚かされたことがある。
前置きはこの辺にしておいて、現地の様子を紹介しておくことにする。この日、JR京浜東北線の大森駅から、鈴ヶ森処刑場を目指すことにした。暑さを感じながら歩くこと15分、第一京浜国道の歩道橋が見えてきた。
この歩道橋の向こう側には鈴ヶ森処刑場跡の小さな森が見える。
歩道橋をのぼっていき、反対側を目指す。
周囲を見回すと、ここはやはり大都会東京。都心から離れた場所でも高層の建物が密集している。京浜国道沿いを走る京急線の背後にはマンションが立ち並んでいる。
鈴ヶ森処刑場跡に到着すると東京都史跡と書かれた立派な塔がある。
「東京都史跡鈴ヶ森処刑場跡」と書かれている。
裏には実際に処刑で使われてた台石や井戸があると書かれている。
敷地内をうろうろしていると、井戸を発見。それにしても井戸って何に使われたのだろうか。調べてみると納得、斬首した首を晒す前にここで血を洗ったらしい。網は井戸の中に物を投げ込んだりするのを防ぐためと思われる。
次は※南無妙法蓮華経と書かれているので供養塔を発見した。清掃している人はお寺の関係者だろうか。鈴ヶ森刑場跡は、存続のために現在は隣接する大経寺が維持管理を行っている。
さらに「馬頭観世音」と書かれた石碑がある。ここには処刑された人間だけでなく、天災や戦争で命を落とした家畜たちも供養されている。
もともとは処刑された人々だけを供養するための場所であったが、現在は大経寺の管理のもと、家畜や無縁仏などの供養も行われている。
今回撮影したのは以上。敷地内には他にも供養塔や磔台などがあるのでが、人が居たりして今回は撮影することができなかった。
数々の人々が処刑されてきた鈴ヶ森処刑場。あまりにも恐ろしい歴史を重ねてきたということで心霊スポットとしても知られている。
・鈴ヶ森インター入口の交差点で頻繁に交通事故が発生。通過の際に霊を目撃したドライバーもいる。
・ここにある「首洗いの井戸」で写真を撮ると霊の姿が写り込む。
・井戸に被せられた金網を外すと祟られる。
宜保鑑定事務所より引用
一応このような噂があるらしいが、今回はそれほど怖さは感じられなかった。霊能力者が解説している上記の引用サイトでも霊の気配は感じられなかったとしている。
もしかしたら供養がきっちりと行われているため、霊的な現象は発生しないのかもしれない。敷地内はとてもきれいに管理されており、霊を供養するには十分な環境ではないか・・そう感じた。
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※の部分訂正 2018年9月9日
×南無阿弥陀仏
〇南無妙法蓮華経
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