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世界を代表する巨大都市東京。日本全国で人口減少が進む中、東京圏では人口増加が続いており、しばらくは経済力で世界一の座を守り続けることだろう。
そんな東京のビジネスの中枢として機能している大手町に呪いのスポットが存在するというのだ。名前を将門塚という。将門とは平将門のことで、菅原道真、崇徳天皇と並んで日本三大怨霊の一人として知られている。
東京駅を降りると、丸の内のオフィス街が広がっている。丸の内では200m級の高層ビルが建ち並んでおり、都会の喧騒が渦巻く場所である。東京駅から将門塚へは15分ほど歩けば到着するという。時刻は夕方、丸の内や大手町で働くサラリーマンが帰路に就く中、将門塚へ向かって歩いていく。
こんな大都会にある呪いのスポットとは一体どのようなものなのか・・。普段はどちらかというと田舎めの場所を回っているせいもあり、未知の世界にワクワクしていた。
歩いていると、ビルの中に空地が見えてきた。この空地の横に平将門の首塚があるという。
オフィスビルが建ち並ぶ中、ここだけ和風の塀や灯篭、植木がある。千代田区大手町1丁目にある土地とは思えないほど静かな時間が流れている。
場所は都心の一等地。取り壊されてビルでもできそうなものだが・・。調べてみて分かったのだが、実は関東大震災のあと大蔵省によって一度取り壊されたそうだ。そこに仮庁舎を建てたわけだが、工事関係者や大蔵省関係者の間で怪我人や病人、そして死者までもが続出したという。
何という呪いなのだろうか。人々の間では「将門の祟り」と恐れられ、4年後には庁舎が取り壊され、再び首塚がこの地に祀られることになった。
さらに戦後、GHQが駐車場にしようとすると、やはり工事関係者が不幸な事故に巻き込まれることとなり、工事を断念せざるを得なかったのである。
そもそも首塚となった由来を紹介すると、平安時代までさかのぼる。平将門は京都の天皇に対して関東の独立を宣言した。すると京都の天皇から討伐命令が下り、将門は首をはねられた。はねられた首は京都で獄門台にさらされる。そしてその首がここ大手町まで飛んできたという。その首は目をカット見開き、悍ましい様相を呈していたそうだ。
そしてその首塚が飛んできた場所は、いまはお茶の水に移転した神田明神の神域だったという。実は神田の地名は将門の「カラダ」から来たと言われている。地元住民は将門の首塚を江戸の総鎮守として手厚く保護した。祟りがあるほどのパワーを持つ首塚。味方につければ守護神として強力なパワーを放つのである。
平将門の首塚は皇居から見れば、北東、すなわち鬼門の位置にある。鬼門封じと言えば、上野にある東叡山寛永寺が有名だが、もしかするとここも鬼門封じに一役買っていたのかも知れない。かつては江戸、明治維新後は東京。この都市の繁栄は、将門塚があるお陰かも知れない。
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