京都盆地から山を東に越えると、山科盆地がある。
山科はいわゆる京都とも違うし、音羽山で隔てられている滋賀とも違う・・・一種独特の雰囲気のある街。
山の手というよりも、どちらかというと下町風の街並みが見られる。
古くから都として栄えた洛中とは違い、つい半世紀ほど前までは農村地域が多かったものの、戦後に宅地開発が行われた。当時は車社会を想定していなかったため、迷路のような狭い道が多く、それが山科独特の雰囲気を作り上げているのだろう。
今回は山科にある3種類の商店街を訪れた。
山科にはいかにも商店街といった感じのアーケード街はほとんど無く、単に小規模な商店が集まっているといった感じである。
ジャンボ一番街
まずはじめに紹介するのがジャンボ一番街。こちらは商店街というよりは、団地の建物内の商店。外環通りの地下鉄東野駅から数分歩いたとこにある。
隣に西友があるので、わりと見つけやすい。看板を見ると、全部で9つの商店や医療機関がテナントとして入居しているのが分かる。
アーケードの横は西友の駐輪場となっており、数多くの自転車が並べられている。
アーケードの下へ入っていこう。さんぱつJET。
ジャンボ一番街のお店一覧看板。こういう団地に併設されている商店街は昔からある商店街とは違う雰囲気。何というか少し殺風景というか冷たい印象を受ける。
囲碁サロンの看板。街中でこういうのを見るとホッとする。ただ、西成のジャンジャン横丁にある三桂クラブのような趣はない・・。というより、ジャンジャン横丁が趣ありすぎるだけか。
ジャンボ一番街で面白いのは吊り下げられている看板。歯の一文字はとてもインパクトがある。千と千尋の神隠しに出てきそうな看板である。
売物件もあるらしい。お問い合わせはホームフレンズへ。
続いて向かったのはジャンボ一番街から西へ5分ほど歩いたところにある山科団地である。
今屋敷21番街
かなり大規模な団地であることは、地図を見てもらえれば分かると思う。
アーケード付きの商店街があるのは、団地の向かい側。今屋敷21番街という大阪市内や尼崎の沿岸部にありそうなネーミングである。今屋敷というのは西野今屋敷町という住所に由来しているようだ。だがなぜ21番街なのかは謎である。
昼間だというのに中は薄暗い。人も歩いていないし、非常に入りづらい雰囲気。よそ者を寄せ付けない空気が漂っている。
10mほど先で道が途切れていると思いきや、右側に道路が続いていた。ちょうど90度に道が折れ曲がっている。お店はというと、美容室があったり、薬局があったり、飲食店があったりと、いたって普通だ。
出口が見えるとホッとした。反対側の出入り口も同じような見た目。ただ、こちら側は道沿いに樹木が植えられている。
最後に向かうのは山科京極。今屋敷21番街から10分ほど北東へ歩いていく。
途中、小川沿いに廃墟風の建物があった。ツタに覆われているというだけで、廃墟と認識してしまうのは良くない。家の壁には古美術 田澤と書かれていたので調べてみると、木屋町に古美術 田澤というお店があるようだ。書画、骨董品を取り扱っているそうだ。
住宅街を北へ歩いていくと、徐々に商店街風の街並みへ変わってきた。
商店街の坂道を上っていく途中に、だんじょの水を発見。男女の水?ではなく談所や檀所を意味するそうだ。70年ころまでは地元の人が炊事・洗濯・洗い物を行う水場として利用していたらしい。
三条通を北に行くと山科京極に入る。実は三条通から南は中央通商店街と名付けられた商店街であったことは、Google mapのストリートビューを見て今知った・・・。
興味ある人はストビュで三条通沿いの看板をチェックして頂きたい。
山科京極
ここからは山科京極。仕事帰りのサラリーマンや学生のコンパに丁度よさそうなお店が軒を連ねている。毎年5月には山科バルフェスタが開催されるなど、イベントも目白押しだ。
駅に近いこともあってか、地方の商店街で見かける虫食いのような駐車場もなく、ぎっしりと建物が並んでいる。
ぱっと見、都会の商店街といった感じだが、どことなく下町っぽさが感じられるのは山科の魅力である。
ところどころ路地裏があるのも、街歩きをしていて楽しめるポイントだ。
山科京極の南端から歩くことわずか3分ほど。山科京極の北端に到着。北端は旧三条通り、すなわち旧東海と接している。
今回は山科散策を行った。
ちなみに大津市民である私にとって山科は身近な場所。京都盆地はよその場所といった感じだが、山科は準地元と言っても良いかもしれない。
京都市でありながら、敷居の高さを感じさせない庶民的な街並みを見せてくれる山科は個人的に気に入っている街である。
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