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コリアタウンの街並み-京都0番地・東九条のいま-



日本において在日朝鮮・韓国人の問題はよく知られている。特に強制連行の有無などの歴史認識の問題や、在日特権の問題は頻繁にマスコミでも報道されている。今回はそうした問題は一旦は置いといて、在日コリアンが多く住むいわゆるコリアタウンとはどのような街なのか、実際に足を運んできたのでご紹介しようと思う。

関西でコリアタウンと言えば、鶴橋や生野区の猪飼野などを思い浮かべる方が多いかと思う。一方関東でも在日韓国朝鮮人の方は多く住んでおり、有名どころでは新大久保などがあげられる。こららの地域は観光地としても知られており、韓流ブームの時には観光客で大変なにぎわいを見せていた。

一方で今回紹介する京都のコリアタウンはそのように観光客が訪れるような場所ではない。どちらかというと京都の裏の顔のような意味合いを持つと言える。場所は京都市の南区。この日は京都駅で降りて、駅から南東方向へ10分ほど歩いて行くと、大きな空き地が見えてきた。空き地の向こう側には高瀬マーケットという赤い建物がある。

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どうやらこのあたりから東九条に入るようだ。この日は休日であったが、京都駅周辺の賑わいとは正反対で、あまり人の姿は見られなかった。やはりここは少し空気が違う・・そんな気にさせてくれる静けさであった。

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さらに東の方向へ行くと鴨川が見えてきた。鴨川と言っても四条や三条などのようにリア充カップルが川沿いに座るという浮ついた雰囲気は一切なく、やや殺風景な雰囲気が漂っていた。ただし、護岸工事は綺麗になされていて子供が遊ぶ光景も見られた。

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川沿いを歩いていると空き家っぽい建物が見えてきた。何か不気味な雰囲気を漂わせている。

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よく見ると、ハチセ従業員寮と書いている。八清(ハチセ)というのは不動産業を営む会社らしい。関係者らしき男性が掃除せいていたが、人が住んでいる気配はなさそうだった。

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また、この近辺はフェンスに囲まれた空き地が多くみられた。それもそのはず、東九条地区は人口減少が激しく、空き家も多い。また、隣の同和地区の崇仁地区同様、公営のアパートも多く建設されており、そちらへ移住する人も多いものと思われる。京都駅から15分ほどの立地にありながら、この寂れた風景は珍しいものである。

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さらに川沿いを南下していくと九条跨線橋が見えてきた。この橋は京都を舞台にした在日コリアンの青春映画「パッチギ!」の撮影でも使われた。もしかしたら見覚えのある人もいるかもしれない。

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現在、九条跨線橋は現在工事中ということらしい。そして衝撃の光景は橋の下で見ることができた。

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橋の下には倉庫のようなものがあり、よく見るとガレージの上のスペースににゴミが大量に詰まっていた。

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この大量のごみ袋は一体何なのだろう。そしてなぜあんなところに。

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ゴミが詰まったガレージの向かいには空き家が見られた。表札が外れて荒れた状態となっている。この付近ではこのような状態になった家が数件見られた。

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今度は鴨川沿いの道路から一本西へ入った道路を北上していく。意外にも普通の住宅街も見られ、言われなければここが「そのような場所」であることは分からないかも知れない。案外普通の街ではないか・・・と油断していると、またしても驚き光景が見られた。

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今度は道の右側に東九条名物といってもいいだろう、バラックが目に飛び込んできた。今でも日本でスラム状態の街並みが見られる場所としては貴重である。東九条では戦前から朝鮮・韓国籍の人が多く移り住み、このようなバラック群が形成されていたようだ。そうしたバラックは半ば不法占拠の状態であり、正式な住所はないことから京都0番地と表現されていたのだ。

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よく建物を観察すると、トタンは古くなっていて、茶色くさび付いている。0番地では下水道などのインフラが整備されていなくて、汚水も垂れ流し状態というまさにスラムの状態であったという。

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どう見ても人は住んでいなさそうだ。トタンなので取り壊しは簡単そうだが、せっかくなのでこのままの姿で残していってほしいものである。

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すぐそばには高瀬川が流れている。昔は高瀬川と鴨川の間にバラックが立ち並んでいたらしいが、現在は空き地となっているところが多い。どうやら最初の写真で見た大きな空き地もその跡地だったようだ。



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それではここで東九条の歴史を振り返っておこう。1920年まで遡り、染色工場や国鉄東山トンネルの工事、鴨川の護岸工事などに従事するため、当時日本に統治されていた朝鮮から多くの労働者が移住してきた。その関係で京都駅周辺には朝鮮系の移民が多く住みつくこととなった。また、戦後の東九条産業廃棄物関係の仕事も盛んだったことから、こうしたバラックが形成されることになったようだ。

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現在もその名残として、ゴミ収集車のターミナルのような空き地があり、この付近を走っている光景が多く見られた。

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最後に河原町通りに出ると、キムチや焼き肉のお店がちらほら見られ、ここがコリアタウンであることを再認識させられた。

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現在行政による改良住宅の整備が進んでいて、昔の雰囲気はあまり無くなってしまっている。しかし、ところどころに昔の名残が見られた。現在東九条は少子高齢化と人口減少にみまわれていて、町並み、住む心地を良いものにしていく必要はあるだろう。

しかし、これからもかつての町並み、京都の裏の顔とも言える風景の名残りを感じられるような東九条であってほしい。そう個人的には願っております。(2017年5月31日記事書き足し)




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