私にとって神戸と言えば商店街の宝庫というイメージがあるほど、神戸には昭和風情を残す商店街が多い。
今回紹介する有楽名店街は、商店街という名称が適切かどうかは分からないが、駅の東口と南口を結ぶ120mの地下通路にスナックや飲食店街が立ち並んでいる。
滋賀県民である私にとって神戸はあまり馴染みのない街で、ネットを中心に記事の話題を見つけるわけで、今回も「神戸 レトロな街」なんて検索していたら、たまたま目に留まったのが有楽名店街であったのだ。
阪神元町駅の地下通路にあるレトロな空間
二宮商店街の写真撮影を終えた後、JR三ノ宮駅から一駅となりのJR元町駅へと向かう。
元町駅はJRと阪神電車の駅であり、南京町の最寄りの駅としても有名だ。
元町駅の周辺に有楽名店街への入り口があるらしいのだが、一体どこにあるのか分からず、ウロウロしてしまった。しかし、駅前には雑居ビルがぎっしり立ち並び、
駅の地上部を探してみても案内書きのようなものは見つからなかったので、今度は阪神電車の元町駅へ向かうことにした。
平日の日中ということもあり、人は閑散としている。阪神元町駅の乗車人員はJRのわずか5分の1程度である。
改札ではなく、まっすぐに進むと有楽名店街の入り口が見えてきた。立派なクリスマスツリーの装飾がしてあるが、名店街の通路は暗く人通りもほとんどない、、。少し入りづらい雰囲気である。
それではいつも通り中へ入っていこう。やはり薄暗い。改札口をつなぐ地下通路であるため、電気はついているが、蛍光灯すべて点灯しているわけではない。
さらに進むと、提灯とペナントというのだろうか、手作り感が良い感じである。
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70年以上の歴史を持つ地下通路
有楽名店街の様子を見ながら、全長120mの地下街の概要を調べてみよう。
1947年の阪神電気鉄道元町駅の地下通路開通時に、阪神メトロ街としてオープンした。
開通後はしばらくは阪神メトロ街という名称だったものの、1959年に今の有楽名店街に変更されたという。
1990年代に入ると、入居しているお店の人たちによって有楽名店会という自治会が立ちあげられる。確かにドアの木札には有楽名店会と表記されている。
単なる地下通路から自治会が立ち上がるまでになったというわけだ。
現在、有楽名店街には約30店舗が入居している。元町駅西側の改札付近に店舗図を確認することができた。
料理屋、スナックなどの仕事帰りにふらっと立ち寄れそうな飲食店が軒を連ねる。地下街ということで、隠れ家的な存在なのかもしれない。
さて、地下街の中間地点の辺りに辿り着いただろうか。何やらものものしい配管を確認することができる。ここが電気の大元なのだろうか。
火災報知機もしっかりと設置されている。
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安全上の問題から閉鎖の危機に
実は有楽名店街は、1979年に「地上への出口が狭い」などを理由に、当時改正された建築基準法で不適格に当たるという指摘を神戸市から受けたことがあった。
当時は消防法に基づいて、スプリンクラーや誘導灯を設置することでこの問題をクリアしたのだが・・・。
2014年、今度は貸主である阪神電鉄から安全性を問題視する意見が出たのだ。こうした意見が出たのにはワケがある。
・2013年 御影本町にて、阪神電鉄高架下で店舗火災
・2014年 十三のしょんべん横丁にて大規模火災が発生
こうした火災事件をうけて、「火災時に避難用の階段を確保できない」という安全上の理由で、ついに阪神電鉄は有楽名店街を閉鎖する方針を固めたのである。
その後、阪神電鉄が店主らに説明会を行い、2016年3月で閉店するために店舗の明け渡しを求めた。
その後、自治会側は市民の署名を集めたり、神戸市に支援を求めたりしているが、未だに阪神電鉄は閉鎖の方針を崩しておらず、明け渡しを求める裁判が続いている・・・。
モトコーのケースにしてもそうだが、このようなレトロな街並みが失われていくのは何かもったいない。と言いたいが、民間会社が権利を持っている場合、何とも難しいところだ・・
「昭和の風情が残る街を残して」というキャッチフレーズで店主や常連客が募集した署名は阪神電鉄宛に5,826筆、神戸市長宛に6,565筆が提出された。
地元民の思いが詰められた署名がどのような効果をもたらすのだろうか。
阪神電鉄や神戸市の今後の対応に注目しようと思う。
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