
西成区の大阪救霊会館がインパクトありすぎた
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2020年の夏、私用で富士山近くに行くことがあり、鳴沢村や河口湖などいかにもベタな観光コースを回ってきたわけだが、その場所の紹介はこのサイト...
洞村はかつて奈良県にあった被差別部落である。神武天皇陵の拡張の際に、移転することになったのだが、今でも山中には遺構があるということで、奈良を...
愛知県東三河の中心として古くから栄えていた豊橋。歴史ある豊橋には有名な遊郭が2か所あり、今回はそのうちのひとつ、東田遊郭・東田園の跡地を訪れた。戦前は東田遊郭、戦後はすぐ隣に東田園が開業した。赤線として営業されたが、買収防止法の成立とともにわずか5年でその役目を終えた。
艮の金神が出口なおに乗り移ったのは明治25年のこと。この年に神道系の新宗教・大本が立教した。その後、2度にわたる宗教弾圧(大本事件)を乗り越え、本日に至る。今回訪れたのは大本教発祥の地であり、聖地のひとつ、そして本部である梅松苑。京都府北部にある丹波地方の街・綾部にある。壮大な建築物が特徴的なみろく殿。松や神社、池がある金竜海。開教100年に建てられた長生殿。それぞれを見て回った。
明智が築いた福知山城の城下町として栄えた福知山には猪崎新地があった。明治末期に最盛期を迎え、座敷数80軒、娼妓は150人もいたという。この繁栄は明治31年に大阪から福知山に移駐した大日本帝国陸軍歩兵20連隊と関係がある。昭和には衰退が見られたものの、1958年の売春防止法成立まで各座敷で営業は続いていた。猪崎城址へ続く東西のメインストリートを中心に現在でも妓楼や遊郭の遺構が見られる。
滋賀県北部にある彦根市にはかつての遊郭跡がある。住所は河原町2丁目で、芹川と花しょうぶ通りに挟まれた地域にある。彦根城の城下町として栄えた街には狭い路地が多い。袋町小路と言う名前も袋小路に由来する。袋町遊郭が明治9年のこと、最盛期の昭和初期には70件のお座敷が存在したという。その後、赤線地帯を経て、スナック街となった。現在でも数多くの飲食店が軒を連ねている。
近鉄電車の桃山御陵前駅の高架下にはディープ感が漂がっている。近鉄桃山商店街・駅前0番地という商店街があり、ラーメン店、串カツ屋、ホルモン店、居酒屋などのお店が軒を連ねている。京都駅からのアクセスもよく、仕事帰りに一杯ひっかけていくにはちょうどよい。高架下は宇治川まで続いており、歩行者通路脇にはシャッターがたくさん見られ、少し怪しげな雰囲気も漂う。
今回訪れたのは、越前市武生にある尾花遊郭の跡地である。尾花遊郭は昭和初期に最盛期をむかえ、当時はお店23軒、娼妓が100名近く在籍していたという。武生駅からは北西方向に10分ほど歩いた場所にある。東西の道路と南北のメイン道路がクロスする地点を中心にカフェー建築がいくつか見られた。また、現役当時のままの妓楼も、数少ないものの存在した。
大和郡山市には奈良の三大遊郭のうち、2つの遊郭跡がある。洞泉寺遊郭はそのうちのひとつで、最盛期には貸し座敷が17軒ほどあったという。今でも格式高い妓楼が綺麗な姿で保存されている。