東京を中心に全国的にタワーマンションがずんずん建設される昨今。西日本最大の都市、大阪でも都心部を中心にタワマンの建設が進められている。
しかし、都市には光もあれば闇もある。
タワーマンションが大都市最先端の建造物を示すものと考えれば、まさに光の部分として都市のシンボルとなろう。
しかし今回の目的地は、そんな大都市の光の部分と反対・・大都市の闇の部分を抱えるエリアと言えるだろう。そして、その地域は、光の象徴であるタワーマンションのすぐ下に存在した・・。
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この日、JR大阪環状線・天満駅を下車して、15分ほど北東方向へ歩くと阪神高速12号守口線の長柄インターが見えてくる。住所は大阪市北区樋之口町。そして見上げると、シティタワー・大阪天満の高層マンションが見える。
155mの建物を真下から全て視界に入れるには、思い切り上を向かなければいけない。
庭も綺麗でおしゃれ、いかにも高所得者をターゲットにしているデザインである。
さて、今回のお目当てはそんなそびえ立つタワーマンションの下の部分にひっそりと存在する不法占拠集落である。ちょうど大川沿いにそのバラックはある。
タワーマンションの庭を見るとフェンス越しに集落が見えてきた。あるいはバラック群といった表現が適当かもしれない。
ここからは集落内へ行くことができないので、タワーマンションを回り込んでみることにした。
マンションテラスにはつい先日大阪を直撃した台風21号の被害の爪痕が残っていた。それにしても、地震といい台風といい、2018年は大阪にとって試練の年となってしまったようだ。
次に天満橋筋につながっている小道を右に曲がり、奥へと進んでいく。入ったときは普通の住宅街だと思ったが、少し進んでいくとほんの少しだけ空気が変わっていく感じがした。
本当は集落内の路地に入っていきたかったのだが、住民の方がこちらをジロジロとみてくるので、進んでいく勇気がなかった。本来なら公共の道路は日本国民の共有空間であり、通行しようが写真撮影しようが何も問題ないはずである。しかし、ここは法律が通用しない・・そんな気がしてならなかった。
というわけで今度は駐車場として利用されている空地へ、逃げるように移動してきた。上を見上げれば、近代的で大資本が作った建造物。その下には庶民的な民家がある。しかし、まだこの辺はバラックというほどひどいものでなく、大阪市内であればよく目にできるような下町風の建物であった。
しかし、トタン性の建物があったりとやはりマンションと見比べれば、格差というのは感じずにはいられない。しかも屋根にブルーシートがかけられている光景も見られた。6月の地震や台風21号でやられたのだろうか。過去の航空写真を見るとブルーシートが掛けられていないので、やはり最近かけられたものであろう。
再び集落内の路地へ入ろうとしたが、まだオバさん達がこっちを見ているというわけで、別の場所から集落を観察することに。再び天神橋筋へ出て、長柄ICの入り口付近へ戻った。
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駐輪場なのか、それとも自転車が置いてある単なる空き地なのか、定かではないがここから大川の方向に抜けられる
古い自転車が放置されているところを見ると、駐輪場というよりはやはり空き地なんでしょう。
さらに、阪神高速守口12号線沿いに歩いていくと、大川が見えてきた。
台風21号が通過してから1週間近く経つが、木の撤去は進んでいない模様。
そして大川の向こう岸には毛馬桜ノ宮公園付近に砂利採取工場が見られる。
実は、対岸の砂利採取場も樋之口町の不法占拠集落も、戦後のどさくさに紛れて作られたものである。大都市では戦後焼野原で無法地帯と化し、闇市やらバラックやら怪しげな建造物が多く建設された。多くは戦後姿を消したり、変えたりしながら次第にその面影が失われていきつつあるが、ここ大川沿いにはまだまだ当時を思い起こさせるような光景を目の当たりにすることができる。
もちろん、このような不法占拠集落というのは、朝鮮半島から労働力を求めてやってきた在日韓国・朝鮮人によって作られた場合も多いが、ここ樋之口町は特にそういうわけでもなさそうだ。
ただ、樋之口町から近いJR桜ノ宮駅の高架下には、かつてコリアン祈祷所である「龍王宮」があったりと、やはり在日朝鮮人との関係は切っても切り離せないらしい。
先ほどのタワーマンションに向かって、大川沿いを歩いていく。どうやらこの道が不法占拠集落へと続いているようだ。そして緑色のフェンスの向こう側にはカオスな光景が広がっていた。
大川沿いから陸方向を見ながら歩いていくことにした。
フェンス内には空き地や畑のような空間があり、その向こうにはバラック群が広がっている。さきほどの民家よりもさらに古くやや粗末な建物である。
もう少し分かりやすい角度から見てみると、やはりタワーマンションの前に古い建物が見られ、蔦に覆われたもの、屋根がはがれかけのものも見られた。
何か最初に見た民家よりもさらに秘境というか・・。フィリピンなど東南アジアの発展途上国の雰囲気さえ漂っている。
昔はフェンス内にも建物があったようだが、やはり老朽化などで取り壊されてしまったらしい。しかし、倒木処理はまだなされていないようで、もしこの広場も不法占拠集落内ということだとしたら、一体だれのお金で撤去するのやら。こういうときだけ行政に面倒見てもらおう・・といったことになるのかもしれない。
にしてもフェンスの先に続く集落が気になる。しかし不法占拠という治外法権がまかり通っている場所ということで、ビビってしまうことも事実である。
しかし、勇気を振り絞って中へと突入してみることにした。
こちらはトタン製の工場だろうか、民家だろうか、何か分からない。
もちろん、不法占拠集落というだけでも興味深いのだが、そこに近代居住地のタワーマンションが集落のすぐそばに建っているというのが何とも皮肉である。
部落や在日の問題等、大阪が抱える問題はあるが、今回はそれらとも違った問題かもしれない。つまり部落や在日の場合、弱者として保護しなければならない人たちがそこに住んでいるが、これらと無関係(であろう)の樋之口町の場合は、また行政の対応も違ってくるのではないだろうか。その辺は今後の研究課題としたい。
都島通りを北西に進み、天神橋筋六丁目駅に到着した。阪急電車に乗って次に目指すのは大阪屈指のディープな街、十三である。
つづく・・。
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