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廃止の経緯
全国的に競輪場の閉鎖が相次ぐ中、2011年3月大津びわこ競輪場も廃止となった。廃止の原因は赤字である。大津びわこ競輪場では事業収入の7割を占める高松宮記念が毎年行われていて、赤字を補填していた。しかし、2004年頃から赤字を補填しきれなくなっていた。
2010年に廃止が決定され、翌2011年3月11日~13日に開催された「びわこファイナルカップ」を最後に廃止することとなった。ただ、実際に2011年3月11日にびわこファイナルカップが行われたが、ちょうど東北大震災が発生した日であったため、12日と13日は開催されず、結局2011年3月11日をもって事実上の廃止となった。何とも中途半端な幕切れになった。
※最後のレースは一番下、Youtubeで紹介
廃止後の利用
廃止後は広大な土地の跡地活用をどうするかという話題があがった。いち早く利用が決定したのは競輪場の駐車場で、平和堂などの大型商業施設になった。しかし、肝心の建物の利用はなかなか決まらず、サッカー場としての利用などが検討されたが、実現せず競輪場廃止後も自転車競技場として利用され続けた。結局跡地の継承先が決まったのが2017年2月で、同時に競技場としての役目を終え、その後解体作業が進むこととなった。2019年秋にブランチ(Branch)大津という商業施設が完成することが決定されている。
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大津びわこ競輪場跡地へ
先日、ネットでブランチ大津ができるというニュースを読み、商業施設が建設される前に一度跡地を見学しておかなければと思い、この日訪れた。
大津びわこ競輪場があったのは二本松という交差点付近。
JR湖西線・大津京駅を降りて、北の方向へと歩いていく。
いかにも郊外といった長閑な街並みを見ながら、脚を進めていく。しばらくすると、わずかにだが、緑色のクレーンが見えてきた。
二本松交差点の北東側に、ぽっかりと空いたスペースが見える。そして、競輪場の建物はすでに解体され、姿を消していた。
近寄って敷地内を覗くと、青いクレーンが稼働中であった。そして大きな砂山が目に飛び込んできた。
ほんとにここだけ空間が空いている。周りには大型のショッピングセンターや大型マンションなど、郊外でよく見られる光景が広がっているのが何だか面白い。ちょうどマンション側に、観覧席がそびえ立っていたのだが、今は完全にその姿を消している。
次に東の方、国道161号線方面に向かって歩いていく。競輪場の入場門があった場所である。
地図で確認しておくと、さきほどは1から、今度は2から跡地を眺めることになる。
まだ門は残っていたが、そのうち取り壊されることだろう。できれば残しておいてほしいが、来年オープンするブランチ(Branch)大津はお洒落感のある商業施設になりそうなので、それも難しいかもしれない。
よく見ると銀色のプレートには大津びわ湖競輪場と書かれている。すでに色あせてしまっているのが切ない。
中を見ると、たくさんのクレーン車が工事をしている様子が見られる。
時代の流れとともに廃止された競輪場の跡地。ブランチ大津に代わる。
多くの人が熱狂したこの地で、また新たな歴史が刻まれようとしている。商業施設に公園も併設されるということで、今度は家族で楽しめる空間が生まれようとしている。
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ファイナルカップ、大津びわこ競輪最後の日。ちょうど北東側(今回の記事で撮影した方向とは反対側から)から撮影されたものです。
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