【旧橋本遊郭散策】駅からほど近い場所にある遊郭街はまだまだ現存していた

当サイトではこれまでいくつかの遊郭跡を訪れている。もちろん、どこもかしこも売春防止法の成立後、営業形態を旅館やスナックなどに変えている。そして、やはり時代の移り変わりとともに衰退の一途を辿っている地区も多く、そうした地域では空き地が目立ってしまっている。これまで、柴屋町遊郭天王新地延命新地などを訪れたが、老朽化した建物が目立ち、「凋落」とか「没落」という表現がぴったりと当てはまっていた。

しかし、今回足を運んだ橋本遊郭では、旧京阪国道沿いに大規模な遊郭跡がしっかりと現存していた。私の遊郭跡というイメージと大きく異なり、まるで現役の遊里にタイムスリップしたかのような感覚に陥ったほどである。

この日、東福寺駅から京阪本線の準急に乗り、電車に揺られること20分~30分で橋本駅に到着した。ここは京都府だが、大阪府とのちょうど県境にあたり、橋本駅から南西に少し歩くと大阪府枚方市に入る。橋本駅を降りて、少し南西側に歩くと踏切がある。この踏切を渡ると、いよいよ橋本遊郭跡に入っていく。

遊郭街がある地区に入ると、いきなり妓楼らしき建物が見えてきた。

遊郭跡は大坂街道(京街道)に沿って大規模に形成されているのだが、そもそもなぜこの地に遊郭街が形成されたのだろうか。地図を見て説明していこうと思う。

地図上で分かるように、橋本の近くには淀川が流れている。この淀川には川向こうの山崎との渡し船があった。ちなみに、渡し船が設置される前には725年から豊臣政権下にかけて度々架けられては流されてを繰り返していた山崎橋が存在していた。橋本という地名はこの橋に由来する。

渡し船が設置されていたこともあり、ここ橋本には多くの宿泊客が訪れ、橋本は宿場町として賑わいを見せていたという。

そして、その頃の遊郭が現在でもしっかりと残っており、京街道では当時を想起させるレトロな街並みを見ることができる。

橋本遊郭街の道幅は6mほどとやや狭さを感じさせる。そして、両脇には旧遊郭の建物が間隔を空けることなく立ち並んでいる。

こちらは橋本湯。ちょうどここが橋本遊郭の南端にあたる。

ここの住所は八幡市橋本小金川、これから橋本遊郭の北端、橋本中ノ町に向かって歩いていく。

このようにいかにもという建物。窓ガラスと格子が何とも言えない味を出している。まさに色街にふさわしい外観。

元妓楼らしき建物が目立つ橋本遊郭だが、今風の民家も混在しているようだ。まあ、ここは橋本駅まで徒歩3分ということで、住宅街としての需要はありそうなもの。

やはりところどころ虫食いのように、空き地があるのは残念。これも時代の流れということで仕方ないのか・・・。

橋本遊郭は明治時代に京阪電車の開通とともに、規模を拡大していき、昭和初期の最盛期には80を超える遊郭が軒を連ねていたという。

戦後の売春防止法の成立後、橋本遊郭も他の遊郭と共に営業形態を変えざるを得なくなった。スナックや飲み屋などに営業形態を変えたところも多いが、ここ橋本遊郭では旅館として、売春防止法の成立後も営業するケースが多かった様子。

こちらは多津美旅館。お泊り、休憩3000円。看板をよく見ると淀川温泉と書いてある。本当に温泉が湧いているのだろうか・・。

橋本遊郭の北端に到着して、丁字路を左に進むと、大谷川が見える。つまり京街道の反対側の大谷川からも遊郭跡を見ることができた。

大谷川に沿って存在する遊郭の建物は、何とも言えないレトロな情景を作り出し、夕焼けと相まって、哀愁を漂わせていた。

先ほど見た淀川温泉多津美旅館もあった。ちなみに右側の傾斜は淀川の堤防である。

堤防の上には京阪国道が通っており、ひっきりなしに車が通っていた。本当は堤防上から橋本遊郭を撮影したかったのだが、歩道がなく危険と判断してやむなく断念。

なんか千と千尋とか、そういった映画に出てきそうな雰囲気。

北東側には男山に続く雑木林が見える。いよいよこれから橋本駅のひと駅隣の八幡市駅へと向かい、伝説の軍人病院を探しに行く。

橋本駅に戻ると、駅から徒歩1分もかからない場所に、これまた遊郭跡がひっそりと佇んでいる。ここ橋本遊郭は駅から徒歩0分の場所にある遊郭と言われる。

この好立地に支えられ、急速な衰退を免れてきたのだろうか。多くの色街の遺産を残す橋本遊郭跡は、まだまだこれからもこの地で歴史を刻んでいくに違いない。



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