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豊橋の赤線跡・わずか5年で役目を終えた東田園跡

関東地方からの帰路、関西まで戻ることができずに辿り着いたのが豊橋である。

豊橋は東三河の中心都市として古くから栄え、新幹線停車駅としても有名である。

歴史ある街には、必ずと言っていいほど存在するのが遊郭跡である。

豊橋には有名遊郭跡が2か所ある。一つは有楽荘という別称を持つ小池遊郭跡だ。

そしてもう一つが今回訪れる東田遊郭および東田園である。すでに多くのブロガーが訪問して記事にしているため、今回の記事は真新しさに欠けるかも知れない。

しかし、かつて遊郭として使用されていた建物が、現在でも旅館や民家として使用されているという情報を手に入れたので、今回は現状チェックといった具合で、今回豊橋に滞在したのを機に、せ訪れてみることにした。



豊橋駅から路面電車に乗って

新幹線、JR在来線2線、名鉄2線、豊橋鉄道2線が乗り入れる豊橋駅にて、豊橋鉄道市内線に乗って、東田遊郭跡・東田園跡を目指すことにした。

東田遊郭跡の最寄り駅は競輪場前。豊橋競輪場の最寄り駅でもあるが、停留所から競輪場までは約500mもの距離がある。

競輪場前で降りて、南へ歩いていく。一見するとどこにでもあるごく普通の街であるが、本当に遊郭があったのだろうか。

とりあえず、いつも通り街歩きを開始しよう。

少し古くレトロな建物を発見。カフェーにも見えなくないが、後で調べてみると、ブラジル料理屋さんだった。地図にも載っているし、まだ現役でやっているお店のようだ。

停留所から幹線道路を南へ300mほど移動しただろうか。幹線道路から住宅街に入っていく。この辺が東田遊郭のあった場所だが、その面影はまったくない。

豊光稲荷神社という稲荷神社がある。

そろそろ真面目に探さなくてはと思い、今度は東西に延びる幹線道路へ出た。

「本場パリの味クレープ」というクレープ屋さんらしくない建物のある幹線道路から、北へ入っていくと、いよいよそれらしき建物を見つけた。「小料理・竹千代」。

この先を見ると、道が狭まっている箇所がある。路地好きのアンテナが反応してしまい、路地の先を進むことにした。

建物がそれほど古くないので、良い感じの路地とまではいかないが、この先にどんな光景が待っているのかワクワクしながら歩みを進めていく。

左手に見えてきた空き地の向こう側には、間違いなく遊郭跡と思われる建物がある。

どうやらこの路地を取り囲むようにして、東田園の建物が存在しているらしい。

路地の先には時計が見える。どうやら広場になっているようだ。

地図で調べるとここが「東田仲の町公園」というらしい。

それでは、ここからは遊郭跡見物ということで、路地や公園を取り囲むように設置してある道路を反時計回りに歩いていく。

とは言っても、ここは愛知県の普通の民家。あまりジロジロ建物を見たり、写真を撮りまくったりすることはできない(というか勇気がない)。サッと撮影を行い、帰宅することにした。

東田遊郭と東田園

実は、現在遊郭として使用されていた建物が多く現存しているのは、旧東田遊郭ではなく隣の旧東田園である。

黄緑色のエリア・・・東田遊郭

赤色のエリア・・・東田園

東田遊郭は、資料によると、大正時代の軒数は50軒、娼妓数は171であったという。かなり大規模な遊郭街であったようだが、ここまで歩いてみても分かったように、それらしき建物は残っていない。

一方で東田仲の町公園を一周する道路沿いには、数多くの妓楼らしき建物が現存している。ここの一帯を東田園という。

戦争末期、豊橋には部隊や軍需工場が多く設置されており、東田遊郭は部隊の宿舎としても利用されることとなったそうだ。

部隊や軍需工場が多いということで、当然空襲の対象ともなった。実際1945年には豊橋大空襲が発生し、市街地の70%が焼失した。

おそらく、このとき東田遊郭のあった吾妻も焼け野原となってしまったのだろう。

さて、戦後の復興とともに、東田遊郭も復興を遂げることになった。それが東田園である。東田園は1952年に公娼区域となり、5年後の売春防止法施行まで営業が続けられた。いわゆる赤線である。

そして今でも10戸ほどの妓楼が現存しているのだ。

東田園跡

こちらは新宝光。元旅館らしく、レトロな風景を訪ねてさんが内部見学したところをブログにアップされているので、興味のある方はそちらをご覧ください。

先ほどの路地から見た建物はこちら。今は民家として使用されているのだろうか。ちなみに、このような玄関先の屋根を破風というそうだ。

グルっと道を周り、今度は公園や路地を一周する道の東側にやってきた。こちらもやはり遊郭跡らしき建物が現存している。

空き地や新しい民家も混在していることから、遊郭などに興味がない人からすれば、少しレトロな光景も見られる普通の住宅街だと思われることだろう。こちらも立派な破風である。

こちらもおそらくかつて遊郭だった建物だろう。人目が気になってしまい、この辺で散策を終了した。

今回散策したルートを地図に表示してみたので、確認していただきたい。

そろそろ、家に戻ろう。

豊橋駅まで路面電車に揺られる。

次は関西で散策だ。




 

 

コメント

  1. カリント より:

    私の先祖のお話しだと思います。ただ、こちらの土地に住んではいないので、違うかもしれませんが。
    調べて下さってありがとうございます。

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