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福知山を出発して向かったのは綾部。戦前は郡是製糸の工場があったこともあり、養蚕業が盛んであった。
一方で宗教が盛んな土地でもある。その発端となったのは大本の立教である。
※大本教と呼ばれることが多いが、正式名称の「大本」と表記する。
うしとらのこんじん(艮の金神)と名乗る神が開祖の出口なおに乗り移ったのは1892年(明治25年)のこと。1892年が大本立教の年とされる。
その後、2度にわたる政府からの弾圧(大本事件)を受けながらも、勢力を維持し今日に至る。
そんな大本の2大聖地のひとつで、発祥の地とはどんな場所なのだろうか。
福知山駅から電車に揺られること12分ほど。JR山陰本線、JR舞鶴線が乗り入れる綾部駅を降りた。
綾部駅から大本本部までは、駅南東部に広がる市街地を通り抜けていくのが最短ルートである。
東西を通る広小路通りを東へ進んでいく。にしても人が歩いていない・・。この日は日曜日だったのに。
街並みはレトロで落ち着いている。お隣福知山は駅ビルが開発されていたり、企業の支店が数多くあり、北近畿を代表する都市といった感じだが、それに比べると綾部はこじんまりとした印象を受ける。
「スタンドあいこ」とはスナックなのだろうか。ドアには大本開祖大祭という地域性丸出しの張り紙が施されている。やはり綾部には大本を信仰している人は多いのだろうか。
話はそれるが、私が生まれる前に亡くなった私の母型の祖母は綾部出身であった。祖母は土地柄もあってか崇教真光(大本から派生したと言われている宗教)を信仰しており、自身にできた癌が見つかっても手かざしを行えば治ると信じいたらしい。手かざしで治そうとしたせいで、癌の治療が遅れて亡くなってしまったそうだ。それ以来、母は宗教はやらないと決意したらしい。
信仰する気持ちはあっても、頼り過ぎは良くないというところだろうか。
それはともかく、大本方面へ足を進めていこう。こちらは「ゆらり」という洋食レストラン。綾部にもちょくちょくお洒落なお店がある。
広小路通り。どうやらここまでが広小路通りだったらしい。
東西に走る広小路通りを抜けると、今度は市街地を南北に縦断する西町アイタウンという商店街にやってきた。
地方都市の商店街に人が歩いていないのは、見慣れすぎて何も感じなくなってしまった。
ただ、商店街を歩いていて面白いものを見つけた。
Tシャツ自動販売機。さすがはグンゼ発祥の地である。グンゼと直接関係あるかはわからないが、かつて蚕都として全国に名を馳せた綾部ならではの光景と言えるだろう。
ここまで15分ほど歩いただろうか。大本の聖地まではもう少しだ。
なかなか良い感じにレトロな街を抜けていく。
さて、そろそろ到着。という前に教会を発見した。
丹陽教会というらしい。グンゼの創業者、波多野氏がここで十字架を祈り信仰を深めたという。そういえば、この後訪れたグンゼ博物館では、社員教育にキリスト教の教えを取り入れているという展示がされていた。
大本までの道のりに関して、かなり長くなったが、ようやく大本の本部に到着である。
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大本には2つ聖地がある。ひとつは亀岡の天恩郷。そしてもうひとつは綾部の梅松苑である。
まずは梅松苑(ばいしょうえん)の金竜海。神勅によって大正3~5年に造営されたという。
金竜海(きんりゅうかい)は昭和10年に起こった宗教弾圧・第二次大本事件で埋め立てられてしまったが、昭和23年に再掘されたそうだ。
梅松苑という名の通り、園内には立派な松が数多く存在し、池や苔と調和が取れている。
ここからでは見えにくいが、金竜海の中央には拝殿が備えられている。
そして、池のこちら側から、拝殿に向かってお祈りを捧げるという形式のようだ。
詳しい祈り方は信仰している者でないと分からないのだが、これも何かの縁ということで合掌することにした。
神道系の宗教ということで、見た目はほとんど神社のイメージ。金竜海では摂末社のようなものが、3つほど確認できた。
境内には金竜海のマップが表示されていて、それぞれ祈りの場所と祈る対象が描かれている。
参拝者の様子を見ていると、書き込んだ矢印の方向で、島に向かって祈るのが正しいようだ。
それぞれの神社には名前が付けられていて、こちらは大本塩釜神社。塩釜神社だけ、島ではなく陸地に存在している。
とりあえず奥まで回ってみよう。苔、そして藁葺の草庵のような建物が良い味を出している。
ところが、残念なことに関係者以外は立ち入り禁止。
この辺で金竜海を出ることに。
金竜海の傍にはみろく殿がどんと構えている。10メートルの入母屋玄関を抱え、建築面積1950㎡という壮大な規模の神殿である。
反対側から見ても、さすがの重厚感である。しかもこの見た目で、主構造は鉄筋だというから驚きだ。
桁行五〇メートルを超す大建築で、入母屋造妻入とし裳階を廻らす。西面に間口一〇メートルの入母屋玄関を構え、背面に張出す大神殿周りも入母屋屋根を重層させる。主構造は鉄骨造だが木材で化粧して木造に見せ、広大な広間に格天井を張る。壮大な規模の神殿。
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/275063/1 より引用
みろく殿や金竜海がある場所から、さらに南へ続く道がある。ここからは少し坂を上っていくことになるので、散歩がてら訪れてみるのもよいだろう。
道中、小さな池を発見。こちらは特に神社がある様子はなさそうだ。
さらに、進んでいこう。日曜日だというのに人はあまり見かけない。普段は参拝者はあまりいないのだろうか。
坂を登り切ったところで、再び重厚感のある建物が現れた。ここが長生殿というらしい。開教100年を迎えた平成4年に建てられた巨大な木造建築物である。
しかし、竹の柵があるし、入っていいのか分からない・・。許可が要るという看板もあったし。。。どっちみち建物内には入れなさそうなので、竹柵から少し入ったところで写真撮影。
あと気になったのが、入ってすぐの場所にある地下通路である。
亀の間地下室。という何とも怪しげで好奇心をそそるネーミングである。
だが、残念。シャッターが閉まっており、これ以上は進めなかった・・・。一体この先にどんな光景が広がっているのか。そして亀の間とは何なのだろうか。気になって仕方がないのだが。
金竜海、みろく殿、長生殿と、一通り大本本部を見学できたところで、帰路に就くことにした。
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長生殿ちかくの出入り口から外へ出ると小学校を発見。綾部市立綾部小学校だ。大本教のすぐ目の前に小学校という何ともディープな光景が広がっている。
帰りは行きと少しルートを変えることにした。
歩いていると、行きに見つけた教会とは違うものがある。
こちらもキリスト教の教会ということだ。そういえば以前、夕方の番組で綾部の教会レストランを紹介していたことがあったのだが。調べてみたら、どうもこの教会がそのレストランだという。
GET ME TO THE CHURCHというらしい。このほかにも綾部には何か所か教会がある。やはり宗教が盛んな地なのだろうか。
今後の研究テーマにしたいと思う。
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コメント
亀岡同様に。もともと綾部藩の陣屋跡に作られたそうです。