スポンサーリンク

滋賀里にある大仏様【志賀の大仏】を訪れた 百穴古墳群も


大仏といえば、奈良の東大寺、鎌倉などを思い浮かべますが、全国には多くの大仏が存在します。

今回紹介するのは、志賀の大仏(おおほとけ)。なぜこの大仏を見つけたのかというと、たGoogleマップを眺めていたときに、たまたま「大仏」という文字が見つかったからです。

ロケーションは滋賀県大津市。さて、そろそろ暖かくなってきたということで、足を運んできました。

 

まずやってきたのはJR唐崎駅

 

湖西線自体、存在感が薄いのですが、その中でも忘れられがちな駅です。

ここ唐崎は、実はお茶の発祥の地なんだとか。看板と茶葉が植えられていました。昔はこんなのなかったような・・。

ここから志賀の大仏までは、少し遠く坂道を登っていくことになります。

まずは駅の西口から南方向へ向かっていきます。この辺は京阪神のベッドタウンとして、閑静な街並みが広がっています。

たぬきもお出迎え。

いよいよ坂道を登っていきます。向こうに見える山の麓に大仏はいらっしゃるそうです。

JRよりも山側を走る京阪電車の線路も越えていきます。

大分上ってきました。琵琶湖の景色も見ることができます。

石垣のある昔ながらの家が立ち並んでいる地区を抜けると、そろそろでしょうか。

途中、北向地蔵という地蔵が。確かに北の方角を向いています。地蔵が北を向いているというのは珍しいそうです。

北向地蔵の近くにあったのが、百穴古墳。さらに奥へ進むと崇福寺跡があるようですが、とりあえず古墳を見てみましょう。

百穴古墳群(ひゃっけつこふんぐん)

今から1400年前、古墳時代後期に造られた古墳群で、大きな石を積み上げて作られた部屋に土が覆われているのが特徴です。

竹林の斜面の中に幾つもの石があります。

百穴古墳の名の通り、石室を持つ古墳がいくつもあったのですが、私が気になったのがこちら。よく見ると・・

石と石の間に木が挟まっているというか誰かに挟まれたのか・。

一体こんな重い石、いや岩の間にどうやって。木が無かったら崩れてしまいそうに見えますが、案外岩と土だけでバランスを取っているのかも知れません。

このほかにもいくつもの穴がありました。実際に石の中には死者を納める場所(玄室)が存在します。

志賀の大仏(おおぼとけ)

百穴古墳群を後にして、次に目指すのは志賀の石仏です。

沢を横目に、さらに山道を上がっていきます。

いよいよ、本格的に山道、林道という感じになってきました。薄暗い中の木漏れ日が印象的です。

よくみると、木の向こう側にお堂のような小さな建物が見えています。これが志賀の大仏がある場所です。

 

少し分かりにくいですが、仏様のお出ましです。右横には記念碑が。

ちなみに、なぜここ滋賀里に大仏があるかというと、この道が(志賀越道)旧山中越えにあたるからです。

山中越えといえば、大津と京都を結ぶ山道・峠で、現在はここよりも少し南側を通っていすがかつてはここから、京都へ続いていました。

 

滋賀里は「大津の宮跡」推定地とされ、京都への旧山中越えの街道がありました。山中越えで京都へ向かう旅人の安全を願ったといわれています。3mを越える阿弥陀像ですが、威圧感はなくゆったりとした雰囲気が漂う石仏です。鎌倉時代の作と考えられます。

高さは約3m。表情は落ち着いており、とても穏やかに見えます。

これまで多くの旅人たちを見送ってきたことでしょう。

大仏を後ろから見るとこんな感じです。

 

この後、さらに坂道を登っていき、崇福寺跡に行ってきました。

次回は崇福寺跡です。

 

アクセス

京阪滋賀里駅から徒歩15分~20分ほどです。青枠が滋賀里駅、赤枠が百穴古墳群と滋賀の大仏の場所です。

ちなみにJR唐崎駅からだと30分~40分かかるので、やめておいたほうが無難です。車は駐車するスペースがあります。

[ad#ads1]

コメント

タイトルとURLをコピーしました