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667年、天智天皇が大津宮に遷都してから一年後、滋賀里に崇福寺というお寺が建てられました。その後、室町時代に廃止されるまで、火災や抗争に見舞われたりしたそうです。
今回、滋賀里を訪れた目的は志賀の大仏(しがのおおぼとけ)を見ることでしたが、地図を見ると、近くに廃寺の文字を発見したので、訪れてみた次第です。
廃寺 何と興味を惹かれる響きでしょうか。しかも廃寺は山の
北尾根
中尾根
南尾根
この3つに分かれて存在していたというのです。
南尾根
志賀の大仏を見た後、山道を数分登っていくと、2股に分かれる道を発見。金堂跡・塔跡(200m)、弥勒堂跡(400m)と書かれた文字が見えてきました。とりあえず目的地へ近いほうのルートを選択。
さらに進んでいくと、崇福寺跡と書かれた木の看板が見えてきました。道の左手には上の方へ続く階段があります。
山の中に続く階段を上っていくと、少し広い空間が現れました。そして右手には石碑があります。
正面から見るとこんな感じ。崇福寺は昭和初期の発掘によってこの場所であると確定しました。
それまでは崇福寺=三井寺説もあったそうですが。
三井寺、南滋賀廃寺、崇福寺、 穴太(あのう)廃寺と並んで、大津宮防衛に携わっていたということです。
現地に立てられていた看板を見ると、石碑のある場所が金堂、その隣に講堂があったそうですす。
看板に書かれていた文章をまとめてみました。
南尾根(現在地) 金堂 講堂 ※実は梵釈寺の遺跡
中尾根 三重塔跡 小金堂跡
北尾根 弥勒堂跡
南尾根は梵釈寺(ぼんしゃくじ)というお寺だそうで、石碑もあるのにまさかといった感じです・・。
中尾根
続いて向かったのは中尾根です。北尾根でのぼった階段を下りていき、沢を渡ります。
尾根と尾根の間には澄んだ水が流れる沢があり、心に安らぎを与えてくれます。
沢から中尾根を登っていくこと数分で、お堂跡に到着です。上の写真、手前が小金堂跡。
こちらは三重塔跡です。石がしっかりと残っており、土台は当時のままになっています。
隣には弥勒堂跡180m。JR唐崎駅から1時間ほど歩いているので、やめておこうかとも思ったのですが、最後の気力を振りしぼって弥勒堂跡のある北尾根へ向かっていきます。
北尾根
今度は中尾根を下っていきます。北尾根との間には金仙滝という滝があります。
マイナスイオン。とにかく疲れた体を癒してくれます。
滝をすぎると、北尾根へ続く階段を上がってきます。少し土地が低くなっている場所が見えてきました。
ここが北尾根の弥勒堂。ここも同じように土台が残っています。
弥勒堂があった場所は、やはり土地が高くなっています。
それにしても綺麗な苔ですね。森の中の廃寺は人も立ち寄らず、木陰もあるので、苔の生育にはちょうど良い環境なのかも知れません。
そういえば以前訪れた安楽律院という廃寺でも苔が綺麗だった記憶があるような。
ここにも看板があったので、目を通すと設立に関して興味深いことが書かれていました。
天智天皇はある日、夢を見ました。弥勒堂跡から北西の場所に霊窟があるという不思議な夢を見た天智天皇は、その通りにこの地を訪れました。すると、一人の僧侶に出会い、ここが仙人の住む霊窟であると知らされたのです。それが崇福寺設立のきっかけとなったそうです。
そしてその霊窟が先ほど見た金仙の滝ではなかろうか、というのが私の推測です。
少しミステリアスで歴史のロマンを感じさせてくれる廃寺でした。
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