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近隣住民の大規模な反対運動が起こった幸福の科学学園関西校の開校について振り返る

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日本にはいわゆる新興宗教と呼ばれるものがいくつか存在します。その中でも創価学会や幸福の科学は日本全国に数百万の信者を抱える巨大宗教組織となっています。幸福の科学にいたっては信者数が1100万人と公表しており、日本国民の10人1人は「科学の信者」ということになります。もちろんこの数字は誇張されており出鱈目であるということは、政界に進出した幸福実現党の選挙での得票数から明らかです。(幸福の科学によると世界中に会員がいるそうなのですが。)

ただ、創価学会や幸福の科学にしても新興宗教の勢力はバカにできないものがあって、教育界でも相当の影響力を持っています。新興宗教にに限らず宗教団体は学校を運営していることが多いのですが、今回紹介する幸福の科学も同じことが言えます。ただ、幸福の科学は設立年月が1986年と、比較的新しい宗教団体なので、最近までは学校を持っていませんでした。

幸福の科学学園が開校したのは2010年、自然豊かな栃木県の那須に中学校、高校を開校しました。その那須の開校に引き続き、2013年、滋賀県大津市に幸福の科学学園の関西校が開校しました。

学校が建設された場所の環境を見ると、栃木県の中学・高校は那須の山中に建設されたものの、滋賀県大津市に開校した関西校は住宅地の中に建設されることになりました。下の写真を見ていただくと、一目瞭然です。

幸福の科学学園(那須)

幸福の科学学園関西校(大津市)

下の写真のように関西校は住宅地、しかも閑静な新興住宅街の中に建設されることとなったのですが、このことがトラブルのきっかけになったのです。

住宅街の住民からすれば、ある日突然近所に得体も知れぬ宗教団体の学校が建設されることになったため、当然これに反対しようとする声が上がることになりました。

 

建設の経緯

もともとこの土地はUR(都市再生機構)が所有しており、2010年の9月24日から10月1日まで取得希望者を募集していました。そこで取得に名乗りを挙げたのが幸福の科学だったのです。その後、速やかに土地の売却、譲渡が行われたのですが、売却後にURは大津市に説明を行っていたものの、近隣住民には説明を行っていませんでした。

後にボーリング調査実施の際、地域住民は回覧によってこの事実をはじめて知ることになったのです。

住民側は説明がなかった点や、住宅街にふさわしくない、学校の教育内容が不透明であるなどとして反対運動を行うことになりました。

反対運動中は近隣の住宅のほとんどが「建設反対」と書かれた旗や、プラカードを掲げ、異様とも感じられる様子が見られたそうです。

そして建設中止を求める3万もの署名を集め、当時の大津市長に提出したのです。それにしても3万とはすごい数です。小学校の学区の人口は1万人もいないのに、そんなにもよく集めたなあ、と感心してしまいます。

その後、URや学園側、それに開発業者などによる説明会は何度も行われたものの、話し合いは平行線に終わりました。そして予定通り学校は建設され、2013年に幸福の科学園関西校が開校することになりました。

 

❚なぜ地域ぐるみで反対運動が行われたか。

先ほども触れましたが、住民の側からすると、「何やらうさん臭い団体の学校ができる」という思いから反対の意見が出たものと考えられます。

それに加えて、幸福の科学という団体がかなり右寄りの政治思想を持っていたということが、反対運動を大きなものにした要因であることが言えます。幸福実現党の政策を見て分かるように、核兵器を保有するだのかなり右寄りの思想を持っていることは一目瞭然です。

一方で住民側というと、実はこういう反対運動に積極的な人というのはいわゆる「プロ市民」と言われる人が多く、わりと左寄りの思想の持ち主が多いのです。この思想の違いが反対運動を大きくさせた原因のひとつであることは間違いないでしょう。

舞台となったのは滋賀の片田舎ですが、大都市のベッドタウンでもあることから、意外にも(と言っては失礼ですが)高学歴者が多く、「プロ市民」的な人は多かったと予測が付きます。

最後になりますが、今回のもめごとは起こるべくして起こったと言えます。もしも幸福の科学ではなく、創価学会の学校が建設されることになっていたら、事態は違っていた(ここまで反対意見は出なかった)かも知れませんね。

ちなみに開校後は特にトラブルもなく、住宅街では平和な日々が続いているそうです。

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