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京都の奥座敷大原に古知谷阿弥陀寺というお寺がある。お寺は三千院や寂光院などがある大原の観光地よりもさらに北にある。
古知谷があるのは大原古知平町。ここらへんは廃屋と化した旅館が数件あったりと、散策しているだけで興味を惹かれる地域でもある。
さて、大原へのアクセスは車が便利だ。山の麓と山の中にある阿弥陀寺近くの2か所に駐車場がある。山の麓に車を置いておくと、けっこう急な坂道を登っていかなければならないので、今回は阿弥陀寺近くの駐車場へ停車し、現地へ向かった。
いきなり現れたのは”禁葷辛酒肉”という文字が刻まれた石。
意味⇒「辛味や臭気の強い野菜(ニンニク、ニラ、ネギ、ラッキョウ、アサツキ)、酒、肉を禁ずる」
駐車場から歩くこと数分、今度は山城跡のような石垣が見えてきた。この上に古知谷阿弥陀寺がある
にしても崖の上に建つ建物は圧巻である。良くバランスを保ててるなぁと思う。安全上問題は無いのだろうか。
境内に入ると、見事な日本庭園を見ることができる。もみじ、苔、岩、石のバランスが見事。
入り口から本堂に入っていく。阿弥陀寺はわずか数分で建物内と庭園を回れるこじんまりとしたお寺だが、何と言っても即身仏という他のお寺では滅多にお目にかかれない存在がある。
中へ入ると訪れた人が自由に書き込める日誌帳が置いてあり、早くも令和元年の日付が入っていた。
さらには秋篠宮家の文仁親王が阿弥陀寺を訪れたときの写真も飾られていた。皇族ともご縁があるらしい。
そして、廊下を渡っていくと弾誓上人石廟の部屋があり、さらにその奥には即身仏が眠っている。石棺の中は公開されていないが、懐中電灯が置いてあり、周りを歩くことができた。
弾誓上人は1613年に本堂脇の巌窟内で即身仏となり、ミイラ佛は石棺に納められて石廟に安置されている。
尾張国出身の弾誓上人は全国を転々とした後、1609年に古知谷を念仏道場として開山した。そしてその4年後、現在もお堂内に安置されている石棺の中で即身仏となったのである。
最期を迎えるときには身体は樹脂化されていて、その後はミイラとなり石棺で眠り続けている。
修行中は腐敗を促進させる脂肪を付けないため、木の皮や木の実を食べて防いだという。そして、お経を唱えながらその時を迎えた。
さて、古知谷阿弥陀寺に安置されている即身仏だが、実は全国各地に現存している。そのほとんどが関東甲信越地方と東北地方である。
そのため、ここ京都の古知谷が日本で最南端、最西端の即身仏が現存するお寺ということになる。
また、入定したときの年齢も様々である。弾誓上人は63歳だが、岐阜県揖斐川町の横蔵寺では妙心法師が36歳で即身仏となった一方で、横浜市の總持寺では無際大師が92歳で即身仏となっている。
一般人の考え方からすれば、江戸時代とは言え36歳の若さで亡くなるのは勿体ない気もするが、人知の及ばない考えがあったのだろう。
そんなことを考えながら本堂へお参りを済ませたり、庭園を眺めたりしていた。
<<弾誓上人石廟>>
<<中庭>>
<<本堂>>
<<庭園>>
<<庭園>>
阿弥陀寺は山間にあることから訪れる人は少なく、GW中だったが拝観している人はほとんど見当たらない。穴場的な場所と言えるだろう。
そんな静かな空気が流れる中、自らが開いたお寺の中で弾誓上人は今も眠り続けている。
本堂で拝観して阿弥陀寺を後にした。
<古知谷カエデ> 京都市指定天然記念物 樹齢800年
<<山門>>
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