今回訪れたのは大阪の淀屋橋周辺にある住友村。住友村は住友系のビルが多く立ち並ぶ地域の通称である。歴史的に見ても住友財閥の重要な地の一つである。まずは地図をチェックしておこう。
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ピン表示は、後に説明する「手形交換所発祥の地碑」である。石碑のある場所100m×100m程度の場所が住友村である。住所は北浜4丁目と今橋4丁目にあたる。
最寄りの駅は淀屋橋駅や肥後橋駅だが、梅田からも徒歩圏内である。
JR大阪駅を下車後、四ツ橋筋を通って南へと歩いていく。
駅前ビルなどが立ち並ぶ大阪ダイヤモンド地区を抜けると、北新地界隈が見えてきた。
さらに南へ歩くと渡辺橋北詰に到着。中之島フェスティバルタワーの両タワーがそびえ立っている。
この辺は企業のオフィスが多い。以前大阪のビジネス街といえば本町だったが、ここ数十年で梅田、中之島、淀屋橋近辺にビジネス街の中心が移ってきている感がある。
堂島川と安治川に挟まれた中之島を越えると住友村のお出ましだ。
手前のビルにはSMBCの文字とロゴが刻まれている。中之島の近未来的なビルとは対照的で、クラシックな印象を受ける。
ビルの名前は住友ビルディングといい、現在は三井住友銀行の大阪本店として利用されている。
住友ビルディングの入り口付近には手形交換所発祥の地と書かれた石碑がある。ここが日本国で初めて手形交換所が開設された場所である。
開設されたのは明治12年のことで、後に東京に開設される8年も前に作られたということで、大阪が商業都市として先進的な地であったということが見て分かる。
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反対側には松瀬青々誕生の地と書かれた石碑がある。調べて見ると松瀬青々(まつせ せいせい)は大阪市出身で明治~大正時代に活躍した俳人ということが分かった。
住友ビルディングからさらに南へ歩いていくと、レンガ造りの建物が見えてきた。
こちらが正面の入り口。大阪倶楽部は大正13年竣工の歴史的建造物である。建設当初から社団法人大阪倶楽部が社交クラブとして利用している。
大阪倶楽部は特定の業種、業界に偏ることなく有識者らが集い、「知の交流と心のふれあいの場」として大阪で設立された伝統と歴史のある会員制社交倶楽部です。
パッと目を引くビジュアルの建物は、経済産業省の近代化産業遺産にも登録されている。現在でも企業OB、大学教授、医師、弁護士、企業経営者など、1250人が同好会活動を楽しんでいるというが、一体どんな会なのかお目にかかりたいものである。
続いて大阪倶楽部の東隣を見ると、住友ビルの建物がある。こちらには会社の本店・支店のほか、喫茶店などの飲食店が入居している。
せっかくなので、住友村周辺も含めて、もう少し歩いてみよう。
ビルのテナントにはビジネス街にマッチしたパン屋さんなどのお洒落な飲食店が軒を連ねる。
大川方面の雑居ビルには居酒屋やランチ店などが入居している。高所得者のサラリーマン向けに値段も高めなのではと思いきや、そうでもなくワンコインで食べられる釜玉うどんもあったりと、わりと庶民的である。
最後に大川沿いに出て、散策することに。
大川からは住友ビルと書かれたビルが見える。大阪倶楽部の隣にあった「住友ビル」とは違う建物で、正式名称は住友ビルディングというらしい。
住友生命の左隣は住友淀屋橋ビルという。もう住友系のビルだらけで、ややこしい。確かにここが住友村であることは確認できた。
大川沿いには石碑があったので見て見ると、淀屋橋の名前の由来が書いてあった。淀屋という江戸時代の豪商が今の淀屋橋の場所に橋を架したのが地名の由来なんだとか。
この辺で住友村の散策をおえることにした。あとは御堂筋を北へぶらぶらと散策することにした。こちらは日本銀行大阪支店。
こちらは大阪市役所。大阪市役所を見たのは今回が初めてだったが、政令市にしてはこじんまりとしている印象を受けた。
区役所が行う業務も多いから市役所自体は小さくて良いということだろうか。
梅田まで戻ると、「宇奈とと」というウナギ丼のお店があったので、テイクアウトすることにした。このご時世に、うな丼500円という安さ。
途中、北新地の雑居ビル街の路地を抜けていく。
うな丼を頂いた。味はジューシーで最高だった。500円だからと侮ってはいけません。
自分とは無縁の世界であるビジネス街。たまには散策するのも良いですね。
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