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琵琶湖周辺に点在する内湖とは?堅田内湖を紹介

琵琶湖周辺には「内湖」という小さな湖、もしくは池が多く見られます。内湖は琵琶湖と水門や水路でつながっていますが、琵琶湖とは独立した湖や池とされます。

もともとは琵琶湖の一部だったと考えられていますが、風や波の作用、川から運ばれた土砂の堆積して形成された潟湖(ラグーン)の一種です。

次に内湖と人間、内湖と生物の関係についてですが、水深1〜2mと浅いことや琵琶湖と通水していることから、人間にとっては船着場、魚にとっては産卵場として役立ってきました。

そんな内湖ですが、戦後は食糧難による干拓事業などが盛んに行われたことによって、江戸時代に40カ所程度存在したものの、今では20カ所程度まで減ってしまいました。



今回は大津市北部の堅田という街の内湖を紹介します。ちなみに大津市の内湖は、堅田内湖のほか近江舞子内湖があります。

さて、堅田という街は古くから水運の拠点として栄え、水とのかかわりが非常に深い地域でした。堅田内湖があるのは、琵琶湖沿岸の旧市街地と、旧161号線や湖西線沿いの新市街地との間です。水門は5つあり、開閉することによって水位が一定に保たれています。

(写真上が南、左が琵琶湖)

平均水深は1mとやはり浅めです。堅田内湖で特徴的なことは、真珠の養殖として利用されてきたことでしょう。内湖には、真珠の養殖に利用する柵も設置されています。

(写真は内湖の南側を撮影)

ただ、その淡水真珠の養殖も下火となり、最盛期に70軒ほどあった事業者は現在では10軒程度となっています。利用されなくなった棚も多くなり、行政が撤去を行うことも増えてきました。

堅田内湖は貴重な生物の生息地になっていたり、農業用水の水源利用としての役割を担っていたりすることから、守っていかなければならない貴重な自然です。

とは言え、周辺は宅地開発も行われていることから、農業用水としての役割はこれから小さくなっていくかもしれません。

何か新たな利用方法はないかと見つけたのが貸しボート。これは昨年のかたた湖族フェスタというイベントでの限定サービスでしたが、なかなか面白いアイデアだと思います。

最近気づいたのは、堅田内湖に「KATATA」という文字が浮いているということ。

堅田内湖は地域のシンボルとして、これからも地域住民に愛され続けることでしょう。



私事ですが、現在の雄琴・堅田地域から瀬田地域へ転居することになりました。当面は瀬田周辺の少し変わった場所を訪れ、記事にするつもりです。

これからも西の禁書目録をよろしくお願いいたします。

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